子牛の名前は「希望」 この手で育て、そして殺した

 畜産をしていて、喜びを感じるのは無事に子牛が生まれた時だけだ。

 難産で死んでしまうときもあれば、いざ生まれても乳を飲まないこともある。

 子牛を抱きかかえて母牛の乳の方に近づけていく。

 ぬくもりを感じながら、手を添えて育てていくのが当たり前だった。

 待望のメスの子牛が生まれたのは、東京電力福島第一原発事故から10日後のこと。

 子牛は「希望(きぼう)」と名づけた。

    ◇

 松本信夫さん(70)の畑は、掘れば掘るほど石が出てきてしまう。

 父から受け継いだ福島県葛尾村の土地は畑作に適さなかったから、放牧しながら子牛を育て販売する肉用牛の繁殖経営をしていた。

 だから、手はいつもタコがいっぱいでボコボコ。

 山に行って大きな声を出せば、数キロ離れていても牛たちは自分の所にダッシュで集まる。

 「牛は俺の声を覚えている」

 それが自慢だった松本さんは、村人からの信頼も厚く村議としても働いた。

牛を避難させたい

 自宅は、東京電力福島第一原発から直線距離で29・8キロだった。

 事故後、防災無線から避難の準備が呼びかけられた。

 その時は、テレビをつけても…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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