被爆地広島・長崎には、政治や文化、スポーツなどの第一線で活躍する人々も数多く訪れました。核兵器廃絶を訴え続ける「原点」とも言える地で、何を考え、どんな言葉を残したのか。広島の平和記念資料館と長崎の長崎原爆資料館の「芳名録」に記されたメッセージを手がかりにたどりたいと思います。
《核保有国として、核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国は行動する道義的責任を持っています》(2009年4月のプラハ演説から)
第2次世界大戦が終わりを迎えつつあった1945年8月6日、米軍のB29戦略爆撃機が広島に原爆を投下した。人類が初めて核兵器を生身の人間に使用した瞬間だった。ソ連が旧満州に侵攻した8月9日には、長崎にも米軍は原爆を投下する。戦時に核兵器が使われたのは、今のところこれが最後だ。その後、実際に核兵器を使用した米国の現職大統領が被爆地を訪れるまでに、71年を要した。
《それが、私たちが広島を訪れる理由です》
5年前の2016年5月27日夕、現職の米国大統領として初めて被爆地・広島を訪れたオバマ大統領は、平和記念公園での17分間の演説の中で、被爆地に立つことの意味を説いた。
《私たちが愛する人のことを考えるためです。朝起きて最初に見る私たちの子どもたちの笑顔や、食卓でそっと手に触れる伴侶の優しさ、親からの心安らぐ抱擁のことを考えるためです。私たちはそうしたことを思い浮かべ、71年前、同じ大切な時間がここにあったということを知ることができるのです》
被爆地を訪れることは、改めて自分の日常を振り返り、平和を自分事として考えることだと問いかけていた。
その直後、被爆者の坪井直(すなお)さん(96)と握手をしながら声を交わし、被爆者で米兵捕虜の研究を続けてきた森重昭さん(84)との「ハグ」が世界に配信された。最後まで「謝罪」の言葉がなかったことに今も批判がある。核ミサイルの発射指示を出す「核のフットボール」も携え、今この瞬間も米ロの核がいつでも発射可能な状態にある現実を見せつけた。それでも、核兵器なき世界をめざすモラルを全世界に発信し、「核のタブー」を強めたことの意義は大きい。
オバマ氏は09年11月の初来日の際、こう語っていた。「広島、長崎を将来訪れることができれば、非常に名誉であり、私にとっても有意義なことだ」と。
大統領就任から間もない同年4月のプラハ演説で「核兵器のない世界をめざす」と表明し、その年のノーベル平和賞の受賞が決まっていたころだ。
核兵器を絶対悪とみなす「人道的アプローチ」を世界へ広めるきっかけとなったオバマ氏の広島訪問。被爆者を抱き寄せる写真はその象徴として、世界へ配信されたが、実現するには様々なしがらみとジレンマを克服する必要があった。記事中盤でその困難さを、終盤にはオバマ氏が平和記念資料館に残した2羽の折り鶴を紹介します。
しかし、この訪問を実現させ…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル