昼間は高齢の客をスーパーや病院へ。夜は最大の繁華街ニシタチで飲んだゴルフ客をホテルまで。タクシー運転手の畑山幹彦さん(48)は、宮崎市に移り住んで14年になる。
きっかけは、当時の県知事だった。お客さんにも時たま、自分のちょっと変わった「身の上話」をする。
生まれ育ったのは、高知県の山あい。19歳の頃から10年以上、地元の床屋で働いた。2000年代に入ると、労働の規制緩和によって派遣会社が「はやり」になった。自分もすぐに登録し、地元を出て三重県へ。工業用のバッテリーなどをつくる工場の製造ラインで作業をした。
ただ、リーマン・ショック直後の09年、「派遣切り」にあう。田舎に帰っても仕事はないし、ほかに行き場もない。大阪か名古屋の派遣村に身を寄せるしかないか――。途方に暮れたとき、ふと工場で出会った友人の顔が浮かび、番号を押した。彼は結婚を機に宮崎市に移住していた。
全国放送で聞かなくなった2文字
「宮崎、いいよー。こっち来…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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