今年400周年を迎えた小倉祇園太鼓。北九州市の伝統の祭りを全国に広めた「無法松の一生」の物語にもあらためて脚光が当たっている。そのオマージュ的な映画を撮ったことがある山田洋次監督(87)に無法松の魅力を聞いた。同じように国民的人気を誇る「あの人」との関係も明かされた。
――「無法松の一生」は4度映画化され、同名の演歌も歌い継がれています。無法松こと富島松五郎という太鼓打ちの車夫の話が広く愛されているのはなぜでしょうか。
文学に「典型」という概念があります。「誰々のような」と言うと、どういう人物か分かる。世界の文学で最高の典型は「ドン・キホーテ」。日本の代表はやはり「坊っちゃん」だな。けんかっ早くて直情径行。その次に位置しているのが無法松だと思う。
教養はないけど、心のなかは真っ白。純粋で、ひたすら愛を貫く。極めて日本人が好きなタイプだね。色々な典型がある中で、僕は(「男はつらいよ」シリーズの)寅さんもその一人だと思っている。
――坊っちゃん、松五郎、寅さんはどこか似ています。
みな気性が真っすぐなところかな。坊っちゃんは教師だからインテリだけども、松五郎、寅さんはまるで教養がない。言葉つき、顔つきも着ているものも言ってみれば下品だけど、洗い落とすと中にキラキラとした宝石のように美しいものがある。
無法松の映画は、なんたって阪東妻三郎主演のものが傑作。脚本を書いた伊丹万作という人がテーマにしたのが、「泥にまみれたダイヤ」だったというんですね。「自分にも磨けば美しいものがひそんでいる」と、みんなどこかで思いたいんじゃないかな。
――陸軍大尉の夫を亡くした吉岡夫人への恋慕の情を、「俺の心は汚い」という言葉で無法松が告白しかけるシーンが映画にあります。
告白の裏側に、「汚い自分」を否定する美しい魂がある。ある意味で、恋愛における男の矛盾する二つの思いを象徴的に語っている。この映画が不朽の名作である理由じゃないかな。
――無法松も寅さんも「高嶺(たかね)の花」に思いを寄せます。
お嬢さんや上品な奥さんの持つ教養なり高い美意識なり、より高い文化を含めて憧れる、そういう美しさも分かる男だということ。もし、無法松がきちんとした家庭で育っていれば立派な紳士になったかもしれない。磨けば宝石になる、元々は優れた人間だ、ということじゃないかな。寅さんにも同じことが言える。
――監督された映画「馬鹿まるだし」(1964年)で、「あっしは汚れておりやす」というセリフを主演のハナ肇演じる「松本安五郎」が言います。
あの映画は、まったく無法松に対するオマージュですね。僕は戦争中、東京の映画館で阪妻の無法松を見て、いい映画だと思った。くっきりと全編を覚えているし、ラッキョウをぽくっと食べるシーンとか細部も印象的だった。
――「男はつらいよ」は「無法松の一生」の影響を受けていますか。
「無法松の一生」みたいな映画をつくろうとしたわけではないが、典型の作り方を坊っちゃんや無法松を見て学んだということです。つまり、寅さんという主人公のキャラクターを、日本人が一番好きな無法松という典型に照らし合わせながらつくり上げてきた。寅次郎は松五郎の影響をはっきり受けているし、原型と言える。
――車寅次郎の名も松五郎に関係していますか。
名前は同じ3文字で、「次」や「五」の後に「郎」がつく。どこかで意識したかもしれないね。名字は最初に「轟(とどろき)」を考えていたが、響きが強すぎるので「車」一つにした。「無法松は車引きだったな」と後になって気付いた。
――北九州・小倉には無法松の碑があります。
柴又駅前に、寅と(妹の)さくらの銅像が立っている。典型が、あたかも実在しているように目で見える形になった例ですね。(聞き手・奥村智司)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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