寅年の徳川家康は虎が好きだった? ゆかりの古刹に残る出生時の伝説

 2022年は寅(とら)年。そこで考えた。「日本で最も有名な寅年生まれの人は誰だろう」。乱世を生き抜き、天下泰平を成し遂げたあの人なのではないか。寅年であるだけでなく、寅の日、寅の刻に生まれたという伝説も残る。東海地方にゆかりがあったあの人――そう、徳川家康。家康と「とら」との関わりを訪ね歩いてみた。

 日の光に照らされて、一面に貼られた金箔(きんぱく)がキラリと輝く。「なんと豪華な…」。見物客からはそんな声が漏れた。

 名古屋城の本丸御殿(名古屋市)。一之間と二之間には、「竹林豹虎図(ちくりんひょうこず)」と呼ばれる障壁画がはめ込まれている。

 竹林で虎の親子がたわむれる様子が、金箔と岩絵の具で描かれている。江戸前期に狩野派の絵師が手がけたといわれる。何頭かはどう見ても豹だが、制作当時、日本では虎と豹は区別されておらず、豹は虎の雌と思われていたとされる。

 本丸御殿は家康の命で1615年に建てられた。やはり自らが寅年だから、虎を描かせたのだろうか。

 名古屋城調査研究センター学芸員の朝日美砂子さん(61)は「干支(えと)は関係なくて、御殿の玄関に虎を描くのは当時の武家の主流でした」という。

 日本に生息しない虎は、中国から渡ってきた絵などを通じて知られた。中世以降、画題として好まれてきたようだ。「虎は強いだけではなく高貴で、御殿と藩主を守る象徴でした」。たしかに描かれている虎の表情は穏やかにみえる。

 公開されている竹林豹虎図は、約30年前に復元模写されたものだ。1945年の空襲で、本丸御殿は焼失した。ただ、竹林豹虎図を含む1049面の障壁画は、城内にある旧陸軍の火薬庫「乃木倉庫」に移されていた。つまり、実物も現存している。傷みを防ぐため、展示されるのは数年に一度だけだ。

 名古屋城の竹林豹虎図について、家康が制作を指示した史料は見つかっていない。それでも、家康が築いた二条城(京都)にも虎が描かれている。「想像をたくましくすれば、家康は虎好きだったのかもしれない」と朝日さんは話す。

 鳳来寺山愛知県新城市)に向かった。鳳来寺は、家康の父・松平広忠と母・於大(おだい)の方が子どもを授かるように祈願したといわれる古刹(こさつ)だ。本尊の薬師如来を囲むように、十二神将像が並んでいる。そこに家康出生にまつわる「虎伝説」がある。

 伝説はこんな内容だ…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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