寝る時間を削って大量の文書を読む外務官僚~外交文書の一般公開の裏側(ニッポン放送)

ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(12月27日放送)に外交評論家・キヤノングローバル戦略研究所研究主幹の宮家邦彦が出演。外務省による外交文書の一般公開について解説した。

国際答弁の作成の後など深夜2時から読む

外務省は今月12月25日作成から30年以上経過した外交文書の一部を公開した。そのなかには1988年の中曽根康弘元総理と当時のソビエト連邦のゴルバチョフ書記長との会談や1955年8月にアメリカを訪れた重光葵外務大臣とダレス国務長官の会話の内容が記されているということだ。

飯田)26日の新聞には特集記事などもありましたが、この文書の公開。

宮家)みなさんご存じないと思いますが、文書公開は私も(外務省時代に)やったことがあります。30年はあっという間に過ぎますよ。当時から外交にはいろいろな秘密があり外に出せないこともあります。だけど30年経ったら原則公開するというルールができてからは大変でした。何でも出すというわけにはいかないので、結局文書を全部読んで大丈夫なものを出します。読むといっても文書は1枚2枚ではなく、何十巻もあります。それを国際答弁作成作業のあととか、夜中の2時くらいから読んだりします。私はなんだかんだ日米安保を4年やりました。2回、日米安全保障条約課で仕事しましたから。とにかく、文書を公開するにはまず読まなければなりません。もちろん外交文書を公表するための特別なグループはあって、その人たちが別途読んではいますが、最後は担当課が結局全部自分たちでやらなければなりません。そうすると作業が大変で、実は毎年憂鬱でした。

飯田)そうすると宮家さんがその安保課で現役となると。

宮家)80年代の終わりと90年代の終わりと2回勤務しました。

飯田)30年ルールが適用される文書は、50年代から60年代、アジアの周り、それこそベトナム戦争が絡んで。

宮家)今回も1988年のものが出たり、1955年のものが出ていますね。

飯田)1955年のものは、集団的自衛権の行使、グアムを守るときにどうするかなどの話ですよね。

宮家)これはきっと30年後、すなわち1985年の段階で、そのときは「ちょっと早いかな」ということだったのかもしれません。

飯田)それこそ集団的自衛権、安全保障法制に絡む問題だからあれが成立してようやく出せるということですか。

宮家)かもしれませんね。恐らくそういう判断があったのでしょう、とにかくできるだけ多く公開しようとしていることだけは間違いありません。


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Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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