寺に残された遺骨 祖国に返れぬ朝鮮人労働者たち

 ノーベル物理学賞に寄与した宇宙素粒子観測装置「スーパーカミオカンデ」がある岐阜県飛驒市の神岡鉱山。ここでも戦時中、亜鉛と硫酸の増産のため、朝鮮人が多数動員された。その遺骨が、周辺の寺に今も残っている。

 神岡鉱山の朝鮮人動員は1940年に始まった。厚生省(当時)の資料では42~45年に神岡鉱山に連行された朝鮮人は1694人。鉱山に電源を供給する神岡水電にも、ダム建設の工夫(こうふ)として2千人以上が動員された。

拡大する金文奉ら、浅井田ダム建設の犠牲者をまつる慰霊灯籠(どうろう)の横に立つ下嶌義輔=2020年10月12日午後2時26分、岐阜県飛驒市神岡町、阿久沢悦子撮影

 同県中津川市の下嶌義輔(しもじまよしすけ)(66)は15年前から、鉱山周辺の寺院に朝鮮人の遺骨を訪ね歩いている。元国鉄職員。労働組合の活動の一環で、在日朝鮮人の指紋押捺(おうなつ)拒否などを支援してきた。

 下嶌は90年、名古屋市で開かれた集会で在野の研究者、金蓬洙(キムボンス)(故人)と出会い、神岡鉱山で働いていたと思われる朝鮮人34人の犠牲者リストを手にした。金が役場に残っていた戦時中の「埋火葬認許願綴(つづり)」から、名前と職業、生没年月日、死因、本籍地を書き写したものだった。

 2005年、前年の日韓首脳会…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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