小・中・高通わず自身の資料は幼児期のみ、「私は何者なのか」

 30歳まで無戸籍だった。学校に通ったことはない。

 冗談好きの母が「井戸で拾ってきたよ」と、姉を泣かしていた記憶がある。だが、本当の「もらわれっこ」は自分だった。山口県に住むとしさん(32、仮名)は話す。家族らの話を総合すると、母が突然連れてきた赤ん坊が、自分らしい。

 1990年、母は福岡県の弟に会ってくると夫に伝え、家を出た。2日ほどして戻ってきた時に抱きかかえていたのが、赤ん坊のとしさんだった。当時、女性は妊娠をしていた様子もなかった。ただ、「弟から預かった」ということと、名前だけ夫たちに伝えた。

 その後、としさんは7人兄姉の末っ子として育てられた。

通ったのは幼稚園だけ、一人で留守番の日々

 最も古い記憶は、幼稚園で友達と遊んだ時のことだ。「父兄をあつめて将来の夢を語る時に、最初先生には父の仕事だったお肉屋さんになりたいと伝えてたんですけど。本番になったら恥ずかしくなって、大工さんに変えたことも覚えています」。

 父も母も、朝から晩まで働いていた。夜明けから朝刊を配達し、終わればそれぞれ精肉店と清掃の仕事に向かった。母は夕刊配達もした。

 幼稚園を出た後、小学校には通わせてもらえなかった。通学する兄や姉と違い「なぜ通えないのか」と聞いたこともある。「手続きしてる」と母は答えた。その言葉を信じた。

 昼は母が弁当を買って一時帰ってくる。それ以外は1人で家に居た。

 「慣れるまでの間はずっと布団の中に。やっぱり怖かったんで。潜ってましたね」

 慣れるとお金をもらって1人…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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