「三大陸を征服して東京號(ごう)帝都に入る」
1930年9月1日付の東京朝日新聞は、アメリカ・ヨーロッパ・アジアの3大陸横断飛行を成功させ、立川飛行場(東京)に降り立った飛行家の偉業をそんな見出しで大きく報じた。米国のリンドバーグが大西洋無着陸横断飛行を成し遂げた3年後のことだ。
飛行家の名は東(あずま)善作(1893~1967)。日本人初の快挙として新聞で取り上げられ、東は「時の人」となった。それから90年以上の時が流れ、今では名前を知る人は少ないが、出身地の石川県かほく市(旧南大海村)には功績をたたえる石碑や研究会が残る。
東は、県内で新聞記者をしていた1916年、米国人の曲芸飛行を見て飛行家を志そうと決意。同年に渡米し、飛行学校や米陸軍航空隊に入り、飛行技術を習熟させていった。
03年にライト兄弟が世界初の有人動力飛行に成功し、当時は航空業界が目覚ましく発展した時代だった。東は飛行を学ぶ傍ら、ロサンゼルス近郊で飲食店を妻と営み、苦心しながら資金をため、複葉機を購入。「東京号」と名付けた。
もともとは数時間しか飛べない中古機だったが、燃料タンクを増設するなど改良を加え、何とか10時間の飛行を可能にした。
30年6月22日、日本に向…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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