小田原中継所で観戦の河野洋平氏 「死ぬ思い」だった箱根駅伝との縁

 箱根駅伝を沿道で観戦するのが、お正月の恒例行事という人は多い。

 元衆議院議長の河野洋平さん(86)もその一人だ。地元・神奈川県小田原市の中継所で、勝負を見守ってきた。

 「小さい頃から正月は箱根駅伝と決まっていた」というほど、河野家との関係は深い。

 父で元農相の一郎さんとおじで元参議院議長の謙三さんは、ともに早稲田大学時代に箱根路を走り、総合優勝を果たした。

 中学生のころ、箱根駅伝を沿道で見て「早稲田」に憧れ、進学先に早大高等学院を選んだ。

つなぐ、つむぐ 箱根駅伝100回

2024年1月2日、箱根駅伝は100回大会を迎えます。残り500㍍での棄権、異例の1年生主将、繰り上げを避けた7秒の戦い……。伝統のトロフィーを作った職人秘話も。様々な「箱根」を取材しました。

 走るのは子どもの時から好きだった。

 高校の監督に誘われ、陸上を始めたのは高校3年のとき。早大でも競走部に入った。

 すでに政治家だった父が、駅伝監督を務めていたときは、河野さんの小田原市の自宅は箱根駅伝の前に選手が寝泊まりする「合宿所」だった。

 自身は3年生でマネジャーに転向した。「運動会では速くても本格的にやっている連中とは勝負にならなかった」。当時の青木半治監督に打診されたとき、迷いは全くなかったという。

 4年時の第35回箱根駅伝(1959年)は、大学の自動車部主将が運転する伴走車に乗り込み、車上からランナーに声をかけた。

携帯のない時代、伴走車で気づいたら…

 「死ぬ思いでしたよ」。とに…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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