少子化対策にざわつく心 「個人の選択」と「国の将来」が交わる先に

 自分の人生を選択するときの価値観や心情とあまりにかけ離れていてどうにも実感が湧かないのが、日本が直面する少子化という問題です。私たち個人にとって少子化はどんな意味があるのか。その対策は誰がどのように担うべきか。みんなで考えてみませんか。

 スープ専門店の「スープストックトーキョー」が、赤ちゃん向け離乳食の無料提供を始めると先月に発表したところ、批判的な声がネットを中心に高まり、話題になった。

 「おひとり様を大事にしない店」

 「もう二度と行きません」

 もちろん素晴らしい取り組みだという賛意も集まったが、子どものいる女性、いない女性の確執だとして話の種にされた。ツイッターでの匿名の批判について真意も分からないまま、それに対する批判や揶揄(やゆ)もまた盛り上がった。

人生の差異 負担と受益でざわつく心

 最近、子どもをめぐる意見の対立が目立つ。交通機関でのベビーカーの扱いや、公園で遊ぶ子どもの声の問題なども注目された。

 私たちはつい、人生の選択や差異を他人と比べてしまう。既婚か未婚か。子どもや孫がいるかいないか。若年か高齢か。一つ一つの違いが心の柔らかい部分に刺さる。少子化対策の議論が難しいのは、こんなところにも理由があるのだろう。

 加えて、少子高齢化や人口減少に伴う政策を考えるとき、税や社会保障の負担増や、誰が利益を受けるのかという難題を避けることはできない。情緒的なすれ違いにお金の話までからむとなれば、なおさら心がざわつく。フォーラム面で実施したアンケートでも、そんな戸惑いをつづった人が少なくなかった。

 個人の選択と国の将来というまったく次元の異なるものが交わる先に少子化問題はある。人口増を目的として子どもを産もうと考える人はいないだろう。

 しかし、自分の人生を俯瞰(…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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