少年Hのいた街【前編】
戦前・戦中の神戸の暮らしを生き生きと描いた妹尾河童(かっぱ)さんの小説「少年H」。時代に押し流される大人たちや社会の姿を子どもの視点でとらえたユニークな作風が話題を呼んだ。戦後75年がたち、当時を知る人も少なくなってきた。少年Hと同じ街で、同じ時代を生きた人たちの「もう一つの物語」をたどった。
<少年H>1930年生まれの舞台美術家・妹尾河童さんが97年に発表し、ベストセラーになった自伝的小説。好奇心にあふれた少年Hの目でみた戦時下の暮らしや社会を描く。「H」は妹尾さんの少年時代の名前「肇」の頭文字。
①フランスの水兵さんと洋食屋
「少年H」が出版されたとき、記者(西田)は1歳半だった。だからリアルタイムでは読んでいない。
記者の住む神戸は昔から世界に開かれ、様々な文化がとけ合ってきた街だ。神戸・北野の異人館のたたずまいは、その歴史を象徴しているように思える。だが、そんな神戸にも、外国人排斥の動きが渦巻いた一時代があったことを最近になってこの小説で知った。神戸総局は旧外国人居留地にある。私は取材を、この地から始めることにした。
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外国人と神戸の記憶を探して
戦災と復興、阪神大震災を経て、人も建物も大きく入れ替わった旧居留地で戦争経験者を探すのは想像以上に難航した。そんな中で1軒の洋食屋を見つけた。
「グリル十字屋」。店内で1枚の白黒写真が目に入った。背の高い外国人水兵と和服女性たちが和やかな表情で並んで立っている。
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「私も詳しいことはわからないんです」。店を切り盛りする杉中寛子さん(53)に写真の来歴を尋ねると、少し困った顔をした。
黒っぽい着物を着た女性が杉中さんの祖母の松尾ヤエノさんだそうだ。1933年に創業した十字屋の初代で、店は当初、省線(現・JR)三ノ宮駅近くにあった。ヤエノさんは、旅行会社に勤めていた父親の仕事の都合で米国で暮らした経験があり、英語が巧みだった。英語の通じる店は、多くの外国人に愛された。故国の味に飢えた人たちが食材とレシピを店に持ち込めば、メニューにない料理でも注文に応じた。
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空襲で店や家財が焼けたが、この1枚だけはなぜか残っていた。写真の水兵はフランス人らしい。杉中さんはそう教えてくれたが、撮影時期は不明だという。
前編では他に、戦争が終結したとたんに「平和的紳士」に変身した「エロ天」について振り返る同級生や、ある時からぱったり上映されなくなったミッキーやポパイの映画の記憶をたどります。
何とか手掛かりを得ようと、私は神戸市史をひもといた。記録では、1934~37年にフランス極東艦隊の艦船が7回、神戸に来ている。その中でも、旗艦ブリモーゲは2回にわたって寄港。35年10月3日の2度目の寄港は、大阪朝日新聞神戸版で「おなじみの旗艦」「神戸娘の一番お好きなオシャレ海軍さん……」と、写真付きで大きく報じられている。洗練されたフランス水兵の姿は市民のあこがれでもあったようだ。
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だが、37年6月を最後にフラ…
2種類
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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