「九州山地」に注目した企画展とセミナーが熊本県五木村で開かれた。山深く、人の往来にも時間がかかる不便な過疎の地、と見られがちだが、さにあらず――と考えた学者たちが、都市が発達した平野部中心のものの見方に一石を投じたいと企画した。そこからは豊かで多様な文化圏としての山地の姿が見えてくる。
一口で九州山地といっても、大分県から鹿児島県まで南北に長い。
今回は、焼き畑でつながりがある「九州中央部」に対象を絞った。熊本県が五木村、水上村、旧泉村の五家荘地区(八代市)、宮崎県が椎葉村、西米良村、西都市の旧東米良村だ。
2023年10~12月に企画展「九州山地の焼畑(やきはた)文化」を開催、その終盤に研究者らが集まるセミナーを開いた。いずれも、国立民族学博物館(民博)による長年の焼き畑の研究がベースになっている。
開催地の五木村は、民博館長も務めた文化人類学者、故佐々木高明氏が集中的に調査したことなどから、日本の焼き畑研究の中心的な場所となってきた。
20年に民博との共催で「佐々木高明の見た焼畑」展が開かれたのを機に、村民が焼き畑復活に動き出している。
そうした一連の流れから、民博の池谷和信教授が、五木村を軸に九州山地を舞台にした「山の文化」の考察を思い立った。
「都市が発達した平野部の視点では、山間部は『文化の遅れたところ』と見られがちだ。しかし、本当にそうだろうか」
池谷教授は、自身の問題意識をこう語る。
「焼き畑は、かつて遅れた農法と見られていたが、SDGs(持続可能な開発目標)に向けた取り組みが広がる今、循環型の自然利用の先端として見直されつつある。それと同様に『山の文化』も見直されてよいのでは」
縄文時代、人々は山をめざした?
12月2日に開かれたセミナーでは、歴史的な「時間軸」で九州山地を考えた。
最初に報告した五木村教委学芸員の福原博信さんは長年、村内で出土した縄文土器の研究を続けてきた。
一般的に山間部では多くの土器が発掘されることは少ない。大規模な開発があまりないためだが、五木村では大量の土器が発掘されてきた。一度は計画が中止になった川辺川ダムの工事が進んでいたためだ。
福原さんは出土した多くの土器から、縄文時代の人の流れを推理した。
福原さんによると、村内から…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル