88歳で亡くなった俳優の八千草薫さんは映画やテレビ、舞台など多方面で活躍した。親交があった仕事仲間や関係者が、偉大な功績を残した名優を悼んだ。
山田洋次監督は28日、1972年の「男はつらいよ 寅次郎夢枕」でマドンナ役に起用した八千草さんについて、「若い時からのあこがれの人でした。(12月公開の)新作にも八千草さんの美しいクローズアップがあるので、それを通じてお別れを言ってください」と語った。
また、同作で共演したさくら役の倍賞千恵子さんは「お兄ちゃん(渥美清)から(2人とも額が広いので)『似ている。らっきょうみたい』と言われるシーンを思い出しました。とても優しい方でした。残念です」と話した。
テレビプロデューサー石井ふく子さん
存在しているだけで素敵な方でした。全身からふしぎな色気が感じられ、透明感があり、年齢を感じさせない方でした。映画スターさんだったので、最初テレビにはご縁がなかったのが「日曜劇場」にご出演いただけてうれしかったことを覚えています。それ以来テレビや舞台でお仕事させていただきました。やさしい心の中にしっかりと芯を持った方でした。日本女性を象徴するような美人女優さんで、和服がよくお似合いでした。
俳優の浜木綿子さん
驚きました。私が宝塚歌劇団に入団したときにはもういらっしゃらず、退団してから、「放浪記」の初演など、東宝の舞台でご一緒いたしました。本当に美しい方で芯には強いものをお持ちでした。あのお年まで美しさを保っていらっしゃいましたし、まだまだおやりになりたかったと思います。最後にお会いしたのはある方のお葬式でした。最近、山登りしていらっしゃいますか? とお尋ねしますと、年ですからやめましたとおっしゃいました。養生していらっしゃったと思いますが、本当に残念です。また一人、また一人と上級生がいらっしゃらなくなって寂しいです。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
俳優の有馬稲子さん
宝塚歌劇団で2年先輩の八千草さんと初めてお会いした時は、お人形さんのようでびっくりしました。
そのままお年を召しても変わらずにいらっしゃったのは、ステキなことだと思っておりました。おっとりして見えて、でも芯のしっかりした方でした。
お仕事も順調になさって、とっても幸せな人生だったと思います。
ご冥福をお祈り申し上げます。
俳優の中田喜子さん
「岸辺のアルバム」や舞台で共演させていただきました。いつも穏やかで、チャーミングな八千草さんの笑顔が忘れられません。完治なさると思っていましたが、残念です。ご冥福をお祈り申し上げます。合掌
ファッションデザイナーのコシノヒロコさん
子どものころ宝塚歌劇に憧れていて、ちょうど八千草さんが大活躍していた頃でした。乙女の憧れの的で、代表的美人。最高の美人の代表格。私にとって格別に美しい人でした。憧れて、口あんぐりでしたよ。
中学生の時、学校をサボって舞台を見に行きました。学校で、椅子を並べて宝塚の舞台を再現し、友達同士でせりふを覚えて。自分たちが女優になったつもりで、「今日は私が八千草薫よ」と遊んでいました。
お着物姿がとってもすてきでした。亡くなられて寂しい。惜しい方。悲しいことです。
小川友次・宝塚歌劇団理事長
宝塚歌劇の娘役を体現したような上品さとかれんさをあわせ持った稀有(けう)なスターであり、2014年の宝塚歌劇100周年の際には、宝塚大劇場の舞台で、楽しいお言葉の数々をちょうだいいたしました。故人のご功績をしのび、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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