きらびやかな照明にせり上がるステージ、水を使った目を引く演出……。7月、京セラドーム(大阪市)のステージで、少年たちが歌い、踊り、走り回った。
東西のジャニーズJr.が一堂に会したコンサート。出演者はみな、デビューを目指しながら、デビュー組のバックで踊る、いわば「訓練生」だ。にもかかわらず、会場は超満員。色とりどりのペンライトが曲に合わせて揺れ、何度も大歓声が上がった。公演は8月にも東京ドームでも開かれ、計4日間で20万人を動員したとされる。
10代の少年たちに熱狂する――。そんなアイドル文化を生み、日本に定着させたのが、ジャニーズ事務所の創業者、ジャニー喜多川氏だった。
1931年、米国生まれ。事務所が設置した再発防止特別チームの報告書などによると、日本にきて当時2歳のときに母親が死去し、4歳上の姉のメリー氏が母親代わりとなった。戦時中は和歌山に疎開し、戦後にきょうだいで渡米した。
その後に米国で、現地を訪れた美空ひばりらの通訳をし、ショービジネスの基礎を学んだ。日本に戻ると、コーチをしていた少年野球チーム「ジャニーズ」からメンバーをスカウト。62年に同名グループのマネジメントのためジャニーズ事務所を設立した。
アイドルを夢見る少年を集め、芸能界に送り出す。その受け皿が、ジャニーズJr.だった。国民的アイドルグループも最初はここからスタートし、階段を上った。
ジャニー氏を知る民放幹部は言う。「スターの原石を発掘し、育てるディレクション能力が優れていた。彼の天才的な選び抜く目が、ファンの一歩先を行っていた」
エンターテインメント業界で一時代を築き、「ジャニーズ帝国」とも言われた芸能事務所の創業者、故ジャニー喜多川氏の性加害が事実と認定されました。これほど長期間、多数の少年への加害はなぜ放置されたのか。様々な視点から考えます。
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル