戦国時代に織田信長が攻略した山城として知られる岐阜城。山上部の発掘調査を続けている岐阜市は、城郭の入り口にあたる「一ノ門」は信長の3代前の城主だった斎藤道三が築いたことが確認できた、と発表した。岐阜城の構造は信長による独創性の高いものと考えられてきただけに、専門家は「これまでの岐阜城の姿を塗り替える発見」と評価している。
今年度の調査は、一ノ門(約180平方メートル)と天守台周辺(約260平方メートル)の2カ所を対象にした。
信長は1567年、道三の孫、斎藤龍興の稲葉山城(現・岐阜城)を攻め落として入城、地名を岐阜に改めた。岐阜城の天守台は信長の時代に築かれたとみられている。通説では、城郭の入り口にあたる一ノ門も、信長が造ったと考えられていた。
今回の調査で、一ノ門は高くな…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル