戸田和敬、松尾葉奈、岡田将平
国の線引きに再び司法がノーを突きつけた。「黒い雨に遭った人は被爆者だ」と認めた14日の広島高裁判決。原爆投下から76年、法廷での戦いを強いられてきた原告らは早期の政治決着を願った。
「長い間、自分たちの証言が真実だと訴えてきた。もうこれで終わりにしたい」。原告の1人、広島市中区の前田千賀さん(79)が向き合ってきたのは、川を隔てて姉妹を二分した国の不合理さだ。
あの日、前田さんは母と妹の3人で、爆心地から19・9キロの水内村(現・広島市佐伯区湯来町)の自宅にいた。四つ上の姉は自宅近くの川を渡ったところにいた。突然の爆風に驚いた母は、幼い娘2人を連れて庭へ逃げた。焼け焦げた紙切れなどに続き、空から降ってきたのが黒い雨だった。水を引いている裏山、米や芋などを育てる田畑――。雨は一帯に降り注いだ。
前田さんが黒い雨の影響を意識し始めたのは、還暦を記念した中学校の同窓会がきっかけだった。100人ほどいた名簿には25人近い同窓生の名前がなかった。「こんなに亡くなるものか」。自身も中学生のとき、原因不明の鼻血に悩まされていた。そのとき、頭をよぎったのが父の活動だった。
川で線引き、姉だけが援護対象に
1976年に国が示した「線…
この記事は
残り:1186文字/全文:1707文字
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Leave a Comment