2018年7月、中国・四国地方に大きな被害をもたらした西日本豪雨。愛媛県の山間にある西予市野村町では、市街地を流れる川が氾濫し、多くの建物が被災した。
一部の住民は、濁流に呑み込まれて住居を失ったり、心に傷を負ったりといった理由で、やむをえず町を離れていった。一方、野村の町で生きていこうと決意した人びともいる。
市街地にある商店街の幼なじみである大塚昌司さんと岡澤志朗さんは、浸水した店舗の再建に向け、それぞれに決断を下す。また、被害が大きかった地区に住んでいた大塚憲さんは、仮設住宅で暮らしながら自ら自宅をリフォームし、いつか帰る日を目指した。
あの豪雨から3人は、どんな日々を重ねていったのか。その胸中には、どんな不安や葛藤があったのか。前半は、2018年末までの約半年間を追う。
西日本豪雨で被災。商店街の幼なじみ店主2人の決意
2018年7月。台風7号と梅雨前線の影響による西日本豪雨は、中国・四国地方に大きな被害をもたらした。
愛媛県の山間にある西予市野村町も、大きな被害を受けた地区のひとつだ。降り続く豪雨により、愛媛県南部を流れる肱川流域の野村ダムで貯水量が急増。7月7日の早朝、水があふれてダムがコントロール不能になるのを防ぐために、大量の水を流す「緊急放流」に踏み切った。
これにより、川は氾濫。下流の西予市野村町は、住宅およそ450棟が浸水し、5人が死亡する大惨事となった。町のシンボルである乙亥会館も、二階の観客席まで浸水した。
野村町の中心にある商店街の一角。そこに寄り添うようにたたずむ二軒の店がある。1軒は、創業80年の大塚写真館、もう1軒は、創業120年の理容オカザワだ。
店主は、大塚晶司さん(58歳)と岡澤志朗さん(58歳)。大塚さんは祖父の代から、岡澤さんは曾祖父の代から、この地で店を続けてきた。
「岡澤の散髪屋さんで髪を整え、髭剃りをして綺麗にしていただいて、隣にあるうちの写真館で証明写真を撮ったり。ずっとナイスコンビでやってきたんですよ」(大塚さん)
大塚さんと岡澤さんは0歳からの幼なじみだ。
2人は幼稚園から高校までの十数年を同じ学び舎で過ごしたのち、上京。それぞれ進学したが、何年か後に野村町に戻り、再びお隣さんとしての付き合いがはじまった。そんな2人は2018年7月、そろって被災することになる。
120年の歴史を持つ理容オカザワは、店内にも濁流が押し寄せた。水は、建物の二階にまで到達したという。
岡澤さんは翌日、避難所から店に戻ったが、玄関には泥やごみが積み重なり、鍵が開いても通れない状態だったという。
「たまたま、店の入り口のガラスが割れていたので入れた」(岡澤さん)
壁紙ははがれ、窓も水道も棚も破損。理容椅子は泥にまみれ、ハサミやカミソリといった商売道具は、行方がわからなくなってしまった。
豪雨の日から2週間。岡澤さんは、ボランティアの力も借りながら、濁流に流されてしまった大事な道具を必死で探していた。ハサミ、バリカン、カミソリ、シェービング用ブラシ……。なかには、近くの川で見つかったものもあった。
そこで再開の意志を尋ねると、岡澤さんは「ここでは無理です」と一言。浸水がひどかった店内は、取り潰しにするという。
「形あるものはいずれ壊れる。この店は、こういう形で壊れてしまったということです」
岡澤さんは、この場所での再開を諦めたのだ。
創業から80年続く大塚写真館もまた、被災した。カメラなどの撮影機材や現像機だけでなく、祖父の代から三代で記録してきた野村の写真をすべて失ってしまった。
翌日、店に戻った大塚さんは、「何から手をつけていいかわからない。できることから一生懸命やるしかない」と力なく笑った。
しかし、豪雨から1週間後。連日、泥のかき出し作業が続く中、大切なものが見つかった。祖父の代に使用していた、アンソニーという古いカメラだ。写真館を開業した当時、大塚さんの祖父は白黒のフィルムで証明写真から結婚写真、七五三、お見合い写真まですべて撮影していたという。
このカメラが、大塚さんの心に明かりをともした。
「もう1回頑張ろうという気になりますね、やっぱり。今後も、ずっと心の励みになるんじゃないのかな。ダメだなあと思ったときは、これを逆に見ないといけないね」
そして、大塚さんは決意を口にする。
「もう一度、ここで頑張ってみようかなと思っております」
この場所で、店を再開することを決めたのだ。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース
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