そびえ立つ巨岩の内部に、神殿にでも迷い込んだかのような地下空間が広がる。ここから、近現代日本を代表する建造物に使われた石材が、多くの人の手で切り出されてきた。
地下に続く石段を下ると、外の暑さがうそのようにひんやりした。7月下旬、宇都宮市の「大谷(おおや)資料館」の地下坑内の気温は12度。同市のこの日の最高気温29度とは20度近い差だ。
すべてを石で囲まれた空間は、地下30メートルまで階段で下りられる。壁に横に走る線は、石工がツルハシで石を切断した跡。ところどころライトで照らされて浮かび上がる陰影は幻想的で、地上とは別世界のようだ。取材の前に降った雨の影響で、中は霧がかかっていた。案内してくれた大久保恭利館長(44)は「夏は『避暑地』として来られる方もいます」。
資料館がある大谷地区の付近は火山灰が固結した凝灰岩(ぎょうかいがん)「大谷石」の産地で、資料館は1919~86年に採掘場として稼働した。大谷石は加工がしやすく、大正時代には帝国ホテル・旧本館の建築材としても使われた。
60~70年代の最盛期には採掘場は約120カ所あった。現在は数カ所が残るのみだ。「資料館の旧採掘場では、採石が機械化される59年まで、1本約80キロの石を手作業で切り出すのにツルハシを約5千回振り下ろした。過酷な作業だったそうです」と大久保さん。
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資料館は太平洋戦争中、軍用…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル