差別され、沈黙させられる理不尽さ 安田菜津紀さんが語る提訴の意義

 「ルーツを語るのに勇気のいる社会は、健全ではない」。フォトジャーナリストの安田菜津紀さんは最近、そのことに改めて気づいたと語ります。きっかけは亡き父、そして講演などで出会う大学生や高校生たちとの対話でした。

 1年余り前、亡くなった父のことを記事に書きました。

 父は私が中学2年の時に亡くなったのですが、高校2年でパスポート取得のため戸籍を取った時、父親の欄に「韓国籍」という文字を見つけ、すごくびっくりしました。

 父は在日コリアン2世で、私が小さい時に日本籍を取るまでは韓国籍だったんです。でも、ルーツを語ることはありませんでした。

「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と結ばれる水平社宣言から100年。日本初の人権宣言と言われ、社会のあらゆる人権問題の克服に向けた原点となってきました。誰にも潜みうる差別の心を溶かす「熱」と、すべての人を等しく照らす「光」を手にできるのか。人間の尊厳を重んじる宣言の精神を改めて見つめます。

 講演などでそのことに触れる機会が増えるにつれて、大学生や高校生から相談を受けるようになりました。

 「自分も親が在日コリアンだということを後になって知った」「でも友だちが何げない会話の中で『韓国が嫌い』と言った時、口をつぐむしかなくなる」というような相談です。

 「自分は在日コリアンですが、ネットをのぞくと北朝鮮や韓国に対するたくさんの差別がある。私はこの社会で生きていけないのではないか」と言って、ホロホロ泣いた高校生がいました。

 年配の人の中にも「私も在日コリアンなんだけど、あなたみたいに勇気がない。だからその勇気を応援したいの」っておっしゃる人がいた。

 想像はしていましたが、改めて気づきました。やはりこの社会の中でルーツを語るのには、まだ勇気がいる。父も隠していたのは、決して珍しいことではないんだと。そして、そんな状況は健全ではないと思いました。

差別は存在しない? 気づいていないだけかも

 部落差別の問題でも、出自を…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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