差別する側とされる側、どちらにもなる 西成の街に触れて気がついた

 「金がなかったら日本人に馬鹿にされる」

 大阪市に住む男性(35)の祖母は、いつもそう言っていた。

 大阪市西成区の被差別部落に生まれた在日コリアン2世。日本人の子どもから「朝鮮、朝鮮、帰れ」といじめられ、貧しくて家計を助けるため、小学校の3年生くらいまでしか通えなかった。

 野菜を積んだリヤカーを引いて遠くまで行商し、革小物を作る会社を興して財を築いた。

 苦労して貧乏からはい上がった自負からか、路上生活者を「怠け者」と見下げ、嫌った。

 男性も、以前は祖母と同じような考えを持っていた。

 大学生になって、日雇い労働者が集まる西成の釜ケ崎(あいりん地区)に出入りするようになるまでは。

「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と結ばれる水平社宣言から100年。日本初の人権宣言と言われ、社会のあらゆる人権問題の克服に向けた原点となってきました。誰にも潜みうる差別の心を溶かす「熱」と、すべての人を等しく照らす「光」を手にできるのか。人間の尊厳を重んじる宣言の精神を改めて見つめます。

困窮者支える仕事、祖母には言えなかった

 「君、子どもができないね」

 医師からそう告げられたのは、大学生になった19歳の夏のことだ。

 3歳のときに患った小児がん

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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