大正時代に首相として政党政治の礎を築き、「平民宰相」と親しまれた原敬(はらたかし)(1856~1921)の遺品の羽織が、衆議院憲政記念館(東京都千代田区)に寄贈された。今年は原の没後100年。行きつけだった理髪店が、原から贈られた品を1世紀にわたり大切に保管していた。
店は、東京・銀座の「理容華菱(はなびし)」。かつては「花菱」の名称で、原はほぼ20日ごとに自邸に呼んで髪を切ってもらっていた。養子の作家・原奎一郎(はらけいいちろう)氏の著書「ふだん着の原敬」によると、原は花菱の「出入り10年」を記念して、同店主人の酒井恒雄氏に羽織を贈ったという。
原は大阪毎日新聞社長や内務大臣などを経て1918年に首相に就任。立憲政友会総裁として政党内閣を率いたが、21年11月4日、東京駅丸の内南口改札前で18歳の青年に刺殺された。
原が暗殺されると、酒井氏は棺を載せた列車に同乗して、原の故郷の盛岡で営まれた葬儀に参列。原の散髪のときにだけ着たチョッキの織り目から白髪をピンセットで抜き取って小箱に入れ、遺髪として遺族に渡したという。作家・永井荷風の日記文学「荷風日歴」や国文学者・池田弥三郎の随筆「わが町 銀座」などにも言及がある。
花菱はその後、いまの「華菱…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル