幻の王国「加耶」の宝が30年ぶりに集結 最新研究が明かす日韓関係

 韓国の歴史ドラマにたびたび登場する朝鮮半島南部の古代国家・加耶(かや)。鉄生産と交易で栄え、海を越えて古墳時代の日本とも交流を重ねた国の栄枯盛衰に迫る国際企画展示「加耶―古代東アジアを生きた、ある王国の歴史」が、国立歴史民俗博物館千葉県佐倉市)で開かれている。12月11日まで。

 加耶(加羅)は3~6世紀に朝鮮半島南部にあった王国群の総称。古代朝鮮の史書「三国史記」などにも書かれているが、同時代の新羅や百済に比べて記述が少なく、「幻の王国」とも呼ばれた。562年には滅亡した。

明らかになった華麗な歴史を紹介

 今回の企画展は、日本国内では30年ぶりに約220点の加耶の至宝が一堂に会する機会となる。近年、韓国の考古学研究が進み、徐々に実態が明らかになってきたといい、最新の発掘調査の成果を通して加耶の興亡の歴史や華麗な文化に光をあてた。韓国の国立中央博物館などとの共同開催だ。

 「加耶を語るもの」のコーナーでは、①重厚で華麗な武装②豊かな鉄③加耶土器の美④壮大な王陵――の視点から、加耶独特の文化を伝える。

 展示室正面で来館者を迎えるのは、馬用の鉄製かぶとだ。顔にフィットする形状になっている。奥には、大小の鉄板を折り曲げて作った人用のよろいがある。胸の部分には渦巻きの文様。今回の展示プロジェクト代表で歴博の高田貫太・研究部教授は「実用性だけでなく、デザイン性を意識したと考えられます」と話す。

 加耶の最も重要な社会的な基盤は鉄生産だった。王や有力者が鉄生産を管理運営したことが、墳墓に副葬されていた鉄の延べ板やオノなどからうかがえるという。鍛冶(かじ)集団の墓からは多くの鍛冶道具が見つかったという。

 「加耶への道」のコーナーでは、多彩な墳墓の文化を紹介する。近年の研究で、杯やつぼなどの形状や文様などの特徴から、「大加耶」「金官加耶」「阿羅加耶」「小加耶」の四つの圏域に分けられるようになった。墳墓の出土物からは、加耶の栄枯盛衰を垣間見ることができるそうだ。

盛んな交流も新羅に侵攻許し…562年に滅亡 

 「加耶人は北へ南へ」と「加耶王と国際情勢」のコーナーでは、古代日本の倭(わ)との交流を紹介する。

 鉄の交易で、中国や倭と交流を重ねた証しが、出土した中国系統の土器や弥生土器だ。この時代、九州と朝鮮半島の間に位置する沖ノ島では、航海の安全を祈るまつりが盛んになっており、日常的な交易が活発だったことが分かるそうだ。

 5世紀ごろから飛躍的に成長…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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