虐待、売春、そして薬物依存――。幼い頃から壮絶な体験を重ねた1人の女性がこの夏、夢に向かって一歩を踏み出した。転機になったのは、ある刑事との出会いだった。
2016年1月、警視庁池袋署の取調室。「あんた偉いの? 令状持ってこいよ」。ハナ(仮名、25)は薬物事件担当の刑事、蜂谷嘉治(はちやよしはる)(62)に採尿を求められ、そう言い放った。
ラブホテルで一緒にいた男が意識を失い、119番通報した。搬送先の病院で男の尿から覚醒剤の陽性反応が出て、覚醒剤取締法違反の疑いでともに逮捕された。
無表情のまま黙秘するハナに、蜂谷は切り出した。
「落語って知ってる?」
「知らない」
好きな演目「牛ほめ」をやってみせた。とんちんかんな男ら登場人物になりきり、落ちに差し掛かったとき。プッ。ハナは思わず噴き出した。
その後も、蜂谷は取調室にふらっと現れては落語を披露した。薬物に詳しく、何でも見透かされているような気がした。ハナはぽつりぽつり、自分のことを話すようになった。
都内で母親と祖母、曽祖母と暮らしていた。祖母は万引きの常習者で、母親は売春をしていた。「生まれてきてほしくなかった」とよく暴力を振るわれた。曽祖母だけが覆いかぶさるようにして守ってくれた。
小学校は3年間で不登校に。間もなくして、仲良くなった地元の先輩に勧められて初めて大麻を吸った。景色が鮮やかになり、「楽しい気分」になった。次第に大麻がないといらだつようになり、やめられなくなった。
曽祖母と祖母が亡くなり、11、12歳の頃に母親に売春を強いられた。14歳のとき、ホテルで相手の暴力団関係者から小さな氷の粒のようなものを勧められた。「きれいになれて、セックスが気持ちよくなる」。注射器で使うと、呼吸が一瞬乱れた後、全身に鳥肌が広がり、手足が冷たくなった。覚醒剤だった。
「あともう1回だけ」。そう思って使っているうち、2週間に1回が毎日になり、多いときは1日2回。いつの間にか抜け出せなくなっていた。
お父さんだったら
取調室で蜂谷は、態度が悪いと叱り、ときどき「字がきれいだな」などと褒めた。今までにない経験にハナは自然と心を開いたが、薬物の入手先や仲間のことは話さなかった。つながりを失いたくなくて、聞かれてもうそをついた。
蜂谷は最後までじっくり聞き、…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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