広島市が、平和記念公園(中区)地下に残る旧中島地区の被爆遺構について、米国による原爆投下により暮らしを奪われた人々の住居跡などを、その場で実物展示する整備方針案をまとめたことが28日、分かった。見学と遺構保護のための建物を設け、一部はレプリカ展示とする。被爆75年に合わせた2020年度の公開を目指し、原爆資料館の見学などと併せて原爆の非人道性をより深く知ってもらう。
展示を予定する場所は資料館東館北側の緑地帯で、被爆前に商店や住居が立ち並んでいた旧天神町筋の一角。市の案では、新たに平屋の見学施設を設け、家の焼け落ちた土壁、間口や隣家との境目を示す石材の列などの遺構の実物を見られるようにする。焼けて炭化した畳や板材は劣化しやすいと想定され、レプリカでの展示とする方針。
建物を設けるのは、遺構を日光や雨から守る目的がある。将来的には公園内の資料館と遺構、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館などを結ぶルートとして、旧天神町筋をイメージした園路の整備も視野に入れる。
市内有数の繁華街だった旧中島地区は1945年8月6日、原爆投下で壊滅的な被害を受けた。戦後、土を盛って平和記念公園へと整備された。市は19年5~9月の2度の発掘調査で、焼けた土壁や畳などの住居跡を確認。「一瞬で家がつぶされ、焼かれた惨状を伝える」として、展示の対象とした。
市は29日に中区である有識者懇談会で方針案を示す。これまでの発掘調査では、しゃもじや茶わんといった生活に直接つながる遺品などは見つからず、元住民たちからは「被爆前の営みを想像しづらい」と調査の継続を求める意見もある。奪われた暮らしを実感できる展示の工夫については、今後さらに議論を深める。委員の意見を踏まえて、年度内をめどに展示の基本計画をまとめる。
<クリック>旧中島地区の被爆遺構の展示整備 現在は平和記念公園となった旧中島地区の被爆前の暮らしと、米国の原爆投下による壊滅を伝えるため市が計画した。2018年に、建築や考古学の専門家、被爆遺構の保存を後押しする市民団体代表、被爆者たち7人でつくる有識者懇談会を設置。発掘調査や展示の計画などについて議論している。
中国新聞社
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