「語り部」といえば戦争や災害の記憶を伝える人を指すのが一般的だが、プロ野球の世界にもいる。広島東洋カープのファン有志でつくる市民団体「カープかたりべの会」だ。
会員が高齢化する中、原爆からの復興の象徴となったカープの歴史をどう語り継ぐか――。会では、新たな構想が持ち上がっている。
「この目で日本一を見るまで死ぬわけにはいけん」「それゆけカープ! 我らがカープ!」。10月15日、広島市中区の地下広場はマツダスタジアムさながらの熱気に包まれていた。かたりべの会などが主催したイベント「鯉伝祭(こいでんさい)」だ。
数十人のファンたちがユニホーム姿で集まった。球団の草創期を描いた紙芝居を上演し、自作の応援歌や踊りを披露した。
この日は、1975年にカープがセ・リーグ初優勝を決めたのと同じ日だ。優勝が決まった午後5時18分に合わせてカウントダウンもあった。「来年は新井貴浩監督のもと、スタジアムを真っ赤に染めましょう!」
かたりべの会は2008年に発足した。公民館や学校などの地域行事で球団の歴史を伝えたり、カープゆかりの場所をめぐるバスツアーを企画したりした。選手と夏休み中の子どもたちが交流する球団主催のイベントにも協力した。
会によると、プロ野球の球団の語り部はカープにしかいないという。彼らはなぜ、いち球団の歴史にこだわるのか。
広島カープ「かたりべの会」が歴史を語り継ごうと、新しい構想に向けて動き出しました。記事後段では、会がファンから集めた伝承方法の主なアイデアも紹介します。
カープは原爆投下から5年後…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル