坂田達郎
かつて国鉄の廃線対象の路線だった山形鉄道フラワー長井線が22日、赤湯―荒砥駅間(約30・5キロ)の全線開通100年を迎えた。山形県白鷹町の荒砥駅前であった記念式典で、開通30年に祝い歌を披露した当時の中学生約25人が70年のときを経て歌声を響かせた。
1923年4月22日に荒砥駅まで開通した。60年代に入ると赤字路線として廃線候補になり、地元は反対運動を展開。県と沿線4市町などが88年に第三セクターの山形鉄道を設立し、運行を引き継いだ。
開通30年の歌は楽譜が見つからず、元生徒の記憶をもとに再現した。古い資料で確認できた歌詞もあり、最後の「みんなで祝おう 感謝しよう」の部分は元生徒の記憶でよみがえった。
「荒砥前広場を中心に開通30周年記念事業が盛大に行われた。私たちは中学生で、目抜き通り1・3キロを日の丸の旗を振り、歌いながら祝いの行進をし、式典で全員でこの歌を歌った」
当時、荒砥中3年だった高谷誠司さん(85)はこの日、あいさつで経緯を説明。強い風が吹くなか、そろいの法被姿で舞台に立ち、鉄道が「文化の恵み」や「物産」を運んでくれたという歌詞を歌い上げた。
当時1年だった埼玉県の五十嵐徹さん(82)は高校卒業後、地元を離れて警視庁の警察官になり、定年まで勤めた。「曲を聴き、当時の記憶とともに歌を思い出した。きょうは懐かしい顔ばかりで、みんな元気でびっくり。地元に帰って式典に参加できてよかった」と話した。
長井線は普段1両か2両編成だが、100周年を記念した4両編成の列車が初めて走った。長井市が拠点のアマチュアフォークグループ「影法師」は、長井線存続運動のテーマソングだった「今日もあの娘(こ)は長井線」を披露するなど、会場は家族連れらでにぎわった。(坂田達郎)
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル