日本の敗戦直後、朝鮮半島への引き揚げ途中に船が遭難して亡くなった人たちの日韓合同慰霊祭が、事故から74年となる11日、長崎県壱岐市芦辺町の現場近くにある慰霊碑前と犠牲者の遺骨を保管する天徳寺であった。韓国の政府と企業が元徴用工や遺族らを支援するためにつくった「日帝強制動員被害者支援財団」が初めて参加。遺骨返還をめざした取り組みに乗り出すことを明らかにした。
日韓の僧侶や駐福岡韓国総領事、在日韓国民団関係者、市民ら約100人が参加した。天徳寺の西谷徳道住職があいさつし、芦辺港で亡くなった人たちに加え、対馬や玄界灘で亡くなった多くの人々を供養したいとした上で、保管する遺骨について「一刻も早く祖国にたどりつけるように」と日韓両政府に返還交渉を進めるよう求めた。さらに「小さな壱岐の島、小さな港町での合同慰霊祭が今後の日韓関係の大きな突破口となると信じている」と話した。
事故は1945年10月11日に起きた。朝鮮半島への引き揚げ船が台風に遭い、壱岐の芦辺港で沈没。168人の遺体が浜辺に打ち上げられたという。遺骨のうち86人分は厚生労働省が管理。身元が分からず、韓国への返還に向けた政府間の動きは足踏みしている。
「返還する際、東京近郊で保管した方が対応しやすい」として、埼玉県の寺に依頼して保管していたが、日韓の僧侶らが「祖国に少しでも近い場所に」と求め、昨年5月に天徳寺に移された。
天徳寺では長年、地元の人たちの手で慰霊祭が開かれてきた。現在は、交流のある韓国の寺と1年おきに交互に開かれているため、今回は遺骨が天徳寺に移されてから初めての慰霊祭となった。(佐々木亮)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル