力丸祥子、荒海謙一、笠井哲也
「復興五輪」を掲げた東京五輪は28日、福島県営あづま球場(福島市)で予定したソフトボールと野球の計7試合の全日程を終えた。いずれも無観客開催だった。大会に関わった人たちには「一生の思い出」になった一方、地元開催の「実感がない」との声も聞かれた。
28日、野球開幕戦となる日本―ドミニカ共和国の試合前、投手の宝佑真さん(15)=相馬市立中村一中=と、捕手の小泉直大さん(14)=新地町立尚英中=が始球式に臨んだ。国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長からボールを受け取った宝さんが投じた1球は、小泉さんのミットにしっかりと収まった。
普段、それぞれの部活動で軟式野球に励む2人に大役が告げられたのは約2週間前。宝さんはその後、父親と車で東京電力福島第一原発事故で被災した双葉郡内を訪れた。「バリケードもあって、まだまだ被災の途中という感じ。復興五輪なので、そういった人たちの思いも背負って投げた。一生の思い出になった」
小泉さんは「地震や津波で被害を受けた浜通りの復興が世界に伝わる機会になればうれしい。大きな舞台に立たせてくれた周りの人に感謝したい」と話した。
同日、記者会見した内堀雅雄知事は「無事に大会を実施でき、ほっとした思いがある」と話した。無観客開催を要請したことについては「苦渋の決断だったが、必要な判断だった」とふり返った。
27日夜、福島市土湯温泉町の旅館「ニュー扇屋」では、従業員や近隣の女将ら約10人が、テレビ中継を見ながらソフトボール女子日本代表チームに声援を送った。2018年、県営あづま球場で試合をした日本代表が宿泊したのが縁で、地区をあげて上野由岐子投手や後藤希友投手らを応援してきた。
米国と接戦を制し、13年ぶりの金メダルが決まると、全員が立ち上がって拍手を送った。感涙をハンカチでぬぐう姿もあった。女将の森山雅代さん(59)は「勇気と感動をもらった。精進してきた選手たちが力を発揮する場を奪わずに五輪を開催して良かった。無観客ではあったが、金メダルに弾みをつけた福島の2勝もレガシーとして語られると思う」と話した。
一方で、無観客開催の五輪を身近に感じられなかった人も少なくない。
県営あづま球場から約9キロ離れたJR福島駅西口にいた福島市森合町の佐藤安代さん(75)は「歓迎ムードもなく、福島で開催された実感はない」と話す。野球日本代表の勝利はテレビで知った。「復興五輪というなら上限を決めて観客を入れてほしかった。無観客は球場を貸しているだけだ」と残念がった。(力丸祥子、荒海謙一、笠井哲也)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル