前例のない1年延期の末、半世紀ぶりに東京で開かれた夏のオリンピック。コロナ禍で祝祭感は薄れ、歓声なき17日間だった。誰もが思い描く大会ではなかったが、あの日、喜び、嘆き、翻弄(ほんろう)された人たちがいた。あれから1年。いま、何を思うのか。
「一生忘れられんし、忘れてたまるかって気持ちもあるんです」。ウガンダ選手団の事前合宿先となった、大阪府泉佐野市の「ホテルニューユタカ」社長の西隆さん(65)は言う。
入国時にコロナ陽性者が出ながら、残りの選手らが濃厚接触者か判断されないままホテルに到着。その後、もう1人の陽性もわかった。感染力が強いデルタ株だった。
ホテルへの誹謗(ひぼう)中傷の電話が鳴りやまず、爆破予告メールが届いた。選手が逃走して行方不明になる騒ぎも起きた。「行政の責任のはずなのに、現場に対応を押しつけられた」。大会から半年たっても、「ここウガンダのとこやろ?」と、団体客から予約をキャンセルされたことがあった。
一方、世紀のイベントに関われた喜びも残る。
ウガンダ大使館から派遣され…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル