昨年1月、千葉県野田市の自宅浴室で亡くなった小学4年の栗原心愛(みあ)さん(死亡当時10)。虐待リスクにつながる情報が最初に入ったのは、故郷の沖縄県糸満市だった。心愛さんと両親は沖縄でどんな暮らしをし、なぜ千葉県野田市へ転居したのか。行政や学校の対応は――。糸満市、友人や知人への取材、裁判での証言などをもとに、事件の背景を探る。
産後うつに苦しんだ母
その女の子は、潮風が吹く街で育った。沖縄本島の最南端、東シナ海に面した糸満市。シーサーがあちこちに飾られた住宅街の戸建てに住み、海の絵を描くのが好きだった。
心愛さんは、短い人生の大半をここで過ごした。3歳の時に両親が離婚し、母親(33)=傷害幇助(ほうじょ)罪で執行猶予付き有罪判決が確定=の実家で母や祖父母らと暮らした。
「とても優しい子でした。しっかりしていて、何でもできて、勉強もお手伝いも大好きでした」
昨年5月、傷害幇助(ほうじょ)罪に問われた母親の初公判で、祖母は証言した。食器洗いや洗濯物の整理をすすんでやり、母親とハンバーグやギョーザを作ることもあった。「いつも楽しく、明るく生活していました」
信号を渡ってすぐの小学校では、友達にも慕われていた。
幼稚園の時からの幼なじみの女子児童(11)は「いつもニコニコしていて、おとなしくて優しい子だった」という。どの科目もよくでき、友達に勉強を教えていた。悪口を言う子がいれば「そんなこと言わない方がいいよ」と諭した。
外で遊ぶ時は、必ず宿題を終わらせてから来ていた。お絵かきをすると、きれいな沖縄の海や空の絵をよく描いていたのを思い出す。「パティシエ(洋菓子職人)になりたい」。小3の時には、そんな夢を打ち明けられた。
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こうした暮らしのなかに、後に心愛さんに暴行を加え、死亡させた罪に問われる父親の勇一郎被告(42)=傷害致死罪などで起訴=の姿はなかった。
心愛さんは両親の話は避けたがった。小1の時に同じクラスだった女子児童(11)は「うちも離婚しているんだよ」と話しかけた時に、心愛さんが気まずそうに押し黙ったのを覚えている。「話したくないのかな」と思い、それからは聞くのをやめた。
仕事を辞めさせ、携帯電話をチェックして行動を制限する――。公判での祖母の証言によると、両親の離婚の背景には、母親に対する勇一郎被告のそんな行動があった。母親は心愛さんを出産後、幻聴を聞き、産後うつに苦しんだ。祖父母は「娘と孫を守りたい」と離婚を勧め、母親も受け入れた。
勇一郎被告と離れてから、母親は通院生活を続けた。体調は良くなったが、精神的に不安定になることもあった。
心愛さんが小2だった2016年の6月。母親は勇一郎被告に1通のメールを送った。
「元気ですか」
のちに、勇一郎被告と母親は復…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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