2022年6月10日、午後3時過ぎ。藤田真弓さん(当時52)は夫の盛浩(せいこう)さん(58)と一緒に、自宅からほど近い青森県弘前市にある弘前総合医療センター乳腺外科の診察室にいた。
医師はCT検査の画像を見ながら、真弓さんの病状を説明した。
「がんが脳、首、肺、肝臓、膵臓(すいぞう)に転移しています」
真弓さんは取り乱すことなく説明を聞き、そして「余命はどのくらいですか」と尋ねた。
告げられた余命は治療をして半年ほど、しなければ数カ月だった。2人は延命治療をせず、自宅で緩和ケアをする道を選んだ。
いつもピアノとともに
真弓さんが体調に異変を感じたのは、この年の春だった。
新型コロナウイルスに感染し、回復したものの、鼻やのどの調子は悪いままだった。
7年ほど前に乳がんを患って手術を受け、抗がん剤治療を続けてきた。前年の秋には医師から「再発はなさそう」と言われた矢先の話だった。
がんの告知を受けてから数日後、真弓さんはピアノの指導を受けていた青木保江さん(61)に、LINEのメッセージを送った。
「先生、私の演奏用のドレスいらない?」
急な話に驚いて電話してきた青木さんに、「私、がんなんだ」と打ち明けた。
真弓さんは青森明の星高校でピアノを学び、卒業後に同校で教師をしている青木さんと親しくなった。
結婚後、自宅でピアノ教室を開いた真弓さんは、青木さんと一緒に演奏旅行に出かけ、家族ぐるみの付き合いをしていた。
真弓さんの人生はいつもピアノと一緒だった。時間があれば鍵盤に向かい、少しでも難しい曲に挑戦した。
真弓さんはピアニストとしては手が小さかったが、指の運びが難しいリストの難曲を何度も練習し、自分のものにした。
「真面目で前向き。そんな姿で周りの人を元気にしてくれる人です」と青木さんは話す。
がんの再発を知った青木さんは、真弓さんの自宅を頻繁に訪れ、努めて明るく振る舞い、元気づけた。
だが、体調は日に日に悪化。会いに行っても「先生、苦しいよ」と訴える。ベッドに横たわり、起き上がれないことも増えた。
「間に合わないかも」
8月、青木さんは意を決して聞いた。
「最後にやってほしいことある?」
すると、真弓さんは「川染先生のピアノが聴きたい」と答えた。
川染雅嗣さん(68)は昭和…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル