恩讐越え…墜落のB29乗員を慰霊「米兵にも家族あった」(西日本新聞)

 1945年5月7日、大分県の山中に墜落し、死亡した米爆撃機B29の搭乗員の慰霊祭が7日、同県臼杵市の見星(けんしょう)寺で営まれた。同寺は米搭乗員の遺骨を一時、安置していた経緯があり、米国の遺族からも感謝のメッセージが寄せられた。出席者らは恩讐(おんしゅう)を越えて犠牲者の冥福を祈り、戦争の記憶継承を誓った。

【写真】B29に乗っていたリチャード・グレイ機長

安藤住職は、亡くなった米兵の名前も読み上げて読経した

 墜落したB29の調査を行う航空戦史研究家の深尾裕之さん(49)=同県=と、75年前の墜落を目撃した新名正一さん(85)=同=が出席。安藤恵聡(えそう)住職(49)は搭乗員11人の遺影や星条旗に向かってお経を唱えた。米搭乗員の遺族も参加予定だったが、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受けて断念したという。

 米搭乗員2人の遺族やB29の戦友会などから寄せられたメッセージが紹介された。亡くなった米搭乗員の息子(76)は「パンデミック(世界的大流行)にもかかわらず、75年前のことを思い出して慰霊祭を実現してくれてありがとう」とメールにつづった。

 リチャード・グレイ機長のめいは、機長の人となりも記した。それによると、機長は18年に生まれ、戦前は食料品店に勤務。毎週のように家族とピクニックに行くなどアウトドアが大好きで、ミッキーマウスが側面に描かれた古い車を愛用していた。第2次世界大戦が始まってすぐに軍隊に入り、45年5月7日の大分への爆撃が機長としての初任務だったという。

 墜落するB29の姿を今も忘れない新名さんは黙とうをささげ、目をうるませた。「万歳」と叫んで歓喜した10歳の自分の姿を思い返したという。「米兵にも家族や人生があったのに、当時は鬼畜米英と教え込まれ、考えもせんかった。ここまで平和で豊かな世の中が来るとは本当に思わんかった」と振り返った。

 米側の調査報告書などによると、45年5月7日に大分海軍航空基地を狙ったB29は、日本海軍の紫電改部隊の攻撃を受けて墜落。搭乗員11人のうち10人が死亡し、生き残った1人も陸軍西部軍司令部(福岡)で処刑されたとされる。10人の遺体は新名さんの父親ら墜落現場付近の住民の手で葬られ、戦後、米軍が見星寺などから遺骨を回収した。

 安藤住職は昨年、調査報告書を基に寺を訪ねてきた深尾さんから聞かされ、米搭乗員を寺で弔っていたことを初めて知ったという。「戦没者に敵味方の区別はない。これからもご冥福を祈っていきたい」

 機長のめいは新型コロナウイルスが終息すれば、訪日するつもりという。メールには感謝の言葉に加え、こうつづった。「戦争によって人生を決められてしまった叔父が、いまウイルスとの戦争で手を取り合う世界の姿を見たら、きっと誇りに思うでしょう」 (久知邦)

【関連記事】


Source : 国内 – Yahoo!ニュース

Japonologie:
Leave a Comment