意表つく北朝鮮のゲリラ外交 出発直前まで拉致被害者の子たち現れず

 外務省で朝鮮半島を担当する北東アジア課の首席事務官だった山本栄二氏(65)が初めて北朝鮮を訪れたのは、1990年9月。金丸信元副総理や田辺誠社会党副委員長ら自民、社会両党国会議員の訪朝団に、川島裕・アジア局審議官(80)とともにオブザーバー(お目付け)役として同行した。国交のない北朝鮮に外務省職員が訪問するのは戦後初めてのことだった。

 金丸氏ら一行は平壌から約160キロ離れた妙香山(ミョヒャンサン)で金日成(キムイルソン)主席と会談した。会談を終え、平壌に戻る列車が出発した後、訪朝団事務局の武村正義議員(88)が「大変だ。金丸先生が拉致された」と言った。金主席が「2人だけで話がしたい」と言い出し、金丸氏ら4人だけが現地に残ったということだった。

 平壌に戻った山本氏らは、日朝の外務省同士の実務者協議に臨んだ。北朝鮮側は「国交正常化(交渉)をやろう」と言い出した。川島氏が驚き、「今までは南北分断につながるから反対と言ってきたではないか」と確認すると、相手は「変わりました」という。日朝の正常化交渉は翌91年1月から始まった。

 交渉の経験を著書「北朝鮮外交回顧録」にまとめた山本氏は、北朝鮮側の意表をつく行動についてこう分析する。「重要な日程を直前に伝えるのは、日本側に対応する余裕を与えず、自分たちのペースで事を運ぼうという思惑があるのだろう。金日成氏は戦争中、抗日パルチザンとしてゲリラ活動をした。北朝鮮は外交もゲリラ的だった」

 2002年と04年の2回、小泉純一郎首相(80)が訪朝したときも、山本氏は平壌入りした。02年は先遣隊の現地準備本部副本部長として、また04年は本部長として宿舎の手配や通信面などの準備を取り仕切った。

 東京の外務省からの指示は「…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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