国内のビル火災で戦後最多の118人が犠牲になった大阪・千日デパートビル火災から50年。大規模な火災が起こるたびに安全基準は見直されてきたが、昨冬、大阪のクリニックで起きた放火殺人事件で制度の「穴」も浮かび上がった。新しいルールが適用されない古いビルの存在だ。
「破断、発見しました」「ポンプ、停止します」。今月15日、滋賀県長浜市にある会社の研修施設。全国8支社から選ばれた社員が3人1組となり、工具を手に断水からの復旧技術を競い合っていた。企画した「イオンディライト」(東京都)は大型商業施設などの設備管理を担う会社で、災害対応の社内コンテストを毎年開いている。
同社の「創立の原点」は、大阪・ミナミの千日デパートビル火災だ。118人が犠牲になった大惨事は1972年5月、電気工事中だった3階のスーパーの衣料品売り場から出火。多くが一酸化炭素中毒で命を落とした。「二度と悲惨な事故を起こしてはならない」と半年後、スーパーの運営会社が設備管理部門を独立させた。イオンディライトの前身だ。
未曽有の惨事、防火・避難の転機に
本社の待合スペースには縦2…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル