「昭和16年 職業軍人の日記より」
こんなタイトルのブログがネット上に現れたのは2年前、2020年5月のことだ。陸軍の青年パイロットの日記は、1941(昭和16)年1月1日と翌2日にしたためた新年の決意から始まる。
《本年こそはうんと修養を積み、至誠奉公、真に幹部として信頼できる軍人とならねばならぬ。》
青年の名は、田上直亀(なおき)。開戦当時は25歳。陸軍航空通信学校(現茨城県水戸市)に在籍していたパイロットだ。
ブログ上の日記は、連日のように更新されていく。
綴られた等身大の青春
郷里の熊本で正月を迎えた田上。自らの最大の欠点を「多言にして言行一致せず」とし、年頭の決意として「口舌を慎み不言実行の士とならねばならぬ」と書いた。
決意とは裏腹に、どうも言いたいことがあると我慢できない性分だったらしい。上官が相手でもついしゃべりすぎることもあったようだ。「多言慎むべし」の自戒は、その後の日記にもしばしば登場する。
《2月1日 離着陸には自信があったが、今日は猛烈な側風を受けて極めて危険なる操作をした。幸運にも事故なく終わりたるは、全く神仏様の加護の賜なり。》
パイロットにつきまとう「死の影」。その6月には着陸に失敗した同僚が命を落とす。外出のたびに神社で手を合わせた。12月には飛行場の隅にある女性の碑を訪ねている。多発する事故の根絶を祈り、自ら「人身御供」として入水したという22歳の女性の碑だという。
陸軍航空通信学校の内務班長として少年飛行兵たちを指導していた田上。陸軍でも海軍でも、私的制裁が横行していた時代だが、田上には、当たり前の行為ではなかったようだ。日記にこう記している。
《5月2日 点呼の時から班…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル