暖かそうな毛皮をたっぷり付けた外套(がいとう)は、中国東北部の満州など寒冷地に進駐していた将兵の防寒着である。幅50センチ、丈110センチほどの外套には、襟、袖口、内側の脇や腰回りにヒツジ、ヤギ、ウサギなどの毛皮が使われている。そして、腰回りの一部には犬の毛皮が使用されている。
犬は、アジア太平洋戦争以前にも警備犬などとして戦地に送られた。本格的に軍用犬の育成が行われるようになったのは第1次世界大戦後で、シェパード、ドーベルマン等の犬種が訓練された。1931(昭和6)年の満州事変以降、中国での戦線では軍用犬が警備や伝令に活躍した。兵士とともに出征し軍務を担ったのである。
軍服への犬毛皮の使用については、西田秀子氏の論考「アジア太平洋戦争下 犬、猫の毛皮供出献納運動の経緯と実態―史実と科学鑑定」によれば、39年ごろから、食糧の米を節約するために、役に立たないペットを献納し戦争に役立てようとする動きが始まっている。さらに41年、欧米との開戦により、中国、東南アジア、南太平洋と戦線を拡大する中、戦況の悪化につれ物資の窮乏は軍需品の調達にも大きな陰りを見せた。国民生活は倹約を強いられ、家庭からさまざまな供出が奨励され、献納運動が盛んになった。
犬猫献納運動は44年に本格化し、種別を問わず多くの犬猫が供出されることになった。40年に戦争推進のために組織された大政翼賛会の傘下で、町内会の隣組が末端の生活までを統制し相互監視が行われ、愛玩動物を飼うことは容易ではなかった。野犬はもとより、ペットの犬猫も戦争のために捕らえられた。目的は毛皮を取ることであった。食肉にも供された。
嘉麻市内でも当時の小学生が宮野村役場に集められた犬を見たという。「毛皮を取ったか、肉を取ったかは知らないけど、殺したのは見た。針金で殺したんじゃないかな」と証言している。写真の外套は43年の製造である。使われた犬が野犬であったか、愛玩犬であったかは分からない。
(嘉麻市碓井平和祈念館学芸員 青山英子)
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嘉麻市碓井平和祈念館が収蔵する戦争資料を学芸員の青山英子さんが紹介します。
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