太平洋戦争中、フィリピン・レイテ島で戦死し、遺骨すら戻らなかった9歳年上の兄。その兄が持っていたアルバムが11月下旬、弟に返還された。開戦から8日で78年。おぼろげになっていた兄の記憶が、写真からよみがえった。
レイテ島の風景だろうか。手書きのヤシの木のイラストがあしらわれた、古ぼけた長方形のアルバム。そこには名前とともに、27枚の写真が収められ、丁寧に台紙に貼られていた。
「右端が父で、3人目が私。徴兵された兄を励まそうと撮りました。近寄りがたく感じていたが、きょうだいの写真を大事に持っていてくれたのがうれしい」
田んぼの中で家族が横一列に並ぶ写真を見ながら、四方保さん(89)=京都府綾部市=は懐かしそうにこう語った。田植えの時期、隣町の写真館からカメラマンを呼んで撮ってもらい、父が兄の秀雄さんへ送ったものだ。ほかにも戦友とポーズをとる軍服姿の秀雄さん。レイテ島で撮ったとみられる一コマだ。初めて見るものばかりだった。
1941年12月8日。秀雄さんが買ってきた真空管の茶色のラジオが、日本軍が真珠湾を攻撃したニュースを伝えた。「日本人は強い!」。保さんは戦果に興奮したのを覚えている。そうして始まった戦争に、秀雄さんはかり出された。
秀雄さんが最後に配属されたの…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル