下町情緒の残る戸越銀座商店街で長年、パン屋を営んできた佐藤元昭さん(75)はこの夏、店を閉めた。
9月中旬。シャッターが閉まった店の中には、かつてパンが並んでいたガラスケースや籠、使われなくなったトングが雑然と並んでいた。下ろされたシャッターの表には、看板商品だった「くるみマフィン」の写真があしらわれている。
「ずっと商売してきたから、何もしないと気が抜けちゃって」。ぽつんとつぶやいた。
関東有数の長さと言われる戸越銀座商店街。パン屋の「ハリマヤ」は、その東の端の方にある。
関東大震災後、被災した東京の下町や横浜方面の商人が、比較的被害の少なかった現在の戸越銀座周辺に移り住んだのが、商店街の始まりだと言われる。
神田で求肥や金華糖といった和菓子を作っていた佐藤さんの祖父も、被災して移り住んできた一人。戸越で再開した菓子製造卸の店が、いまの「ハリマヤ」の前身だ。店名は、祖父が菓子作りの修業をしていた店の名が由来だという。
昔ながらの品ぞろえ「おやつにぴったり」
その後に店はパン屋になり、佐藤さんが継いだのは21歳のころ。
もともと新宿駅東口にあった総合食料品店に勤めていたが、母に頼まれて仕事を辞め、パン屋になった。店では一時期、パンの仕入れ販売を中心にしていたこともあったが、佐藤さんの代になって製造を再開。パン作りの本を参考に試行錯誤しながら、種類を増やした。
ブドウパンにクリームパン、カレーパンに甘食……。品ぞろえは多いときには25種類ほどになり、昔ながらの菓子パンや総菜パンのファンも多かった。
戸越銀座生まれで、商店街でイタリア料理店を営む若王子資和(もとかず)さん(49)と娘の晴陽(はるひ)さん(6)は、親子で甘食が大好きだった。「甘くて、しっとりしていて、牛乳と合う。娘のおやつにぴったりでした」と資和さん。
くるみマフィンが誕生したのは…
看板商品の「くるみマフィン…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル