「漫画の神様」と呼ばれた故・手塚治虫さんは16歳で、戦争を生き延びた。後年、戦争で感じた理不尽さを糧に「火の鳥」や「アドルフに告ぐ」を世に送り出す。ウクライナ侵攻で国際情勢が緊迫する中、手塚作品が伝える「本当の戦争」とは何か。
手塚さんは太平洋戦争末期の1945年、勤労動員で働く大阪の軍需工場で死に直面する。同年3月13日から終戦前日の8月14日までに計8回あった大阪大空襲だ。
B29戦略爆撃機の大編隊が見え、焼夷(しょうい)弾が頭上に落ちる音がした。「おれはもうおしまいだ!」。焼夷弾はたまたま、手塚さんのすぐ横を通過。仲間が死んだ。
戦後は大阪大空襲の体験を交えた作品「紙の砦(とりで)」など、戦争をテーマにした作品を多数描いた。
生前から戦争の風化を感じていた手塚さん。戦後生まれの人に向けて、自著にこんな言葉を残している。
《戦争とは、かっこいい兵器がでてきて、いさましい突撃があって(中略)とワクワクする人がいる。
でも、ほんとの戦争はそんなもんじゃない。あなたのあたまの上にたまがおちてきて、あなたがこっぱみじんになってあなたが死ぬのですよ。》(長富由希子)
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル