青い海面の先に白い灯台と赤い鳥居が見える。右手には江の島。はるか向こう、雲の上にうっすら稜線(りょうせん)をのぞかせているのは富士山だ。3月半ばの平日、神奈川県葉山町から望む相模湾はのどかだった。さざ波の上をパドルボードが滑っていく。
78年前の8月、この海にアメリカ海軍の艦隊が現れた。敗戦直後で占領軍を率いるマッカーサーが厚木に降り立つ前のことだ。当時12歳で葉山町に住んでいた鈴木満里さん(90)は「高台から相模湾を見渡すと、海いっぱいに米軍の軍艦」が見えたと2月6日の「声」欄の投稿に書き、「子ども心にもアメリカはすごいと思いました」と結んだ。
異様な光景は広く沿岸の子どもたちを驚かせたらしい。同じ12歳で葉山の隣の逗子市に住んでいた石原慎太郎は後年、アメリカの大艦隊が「海を塞ぎ水平線も見えぬ程(ほど)だった」と記している。圧倒されつつ「たまらぬ解放感があった」のは、米軍の本土上陸を想定して利用が制限されていた海が「ようやく私たちの手にもどってきた」からだった。石原裕次郎、加山雄三、サザンオールスターズ……。戦後、沿岸の湘南ゆかりのスターが活躍し、相模湾に昭和の若者文化が花開くことになる。
その相模湾に昨年11月、自衛隊と米豪韓など12カ国の軍の艦艇約40艇が集結した。海上自衛隊創設70年を記念した国際観艦式である。岸田文雄首相は訓示で北朝鮮の核やミサイルの開発に触れ「断じて容認できない」と語った。3日前に日本海に向けてミサイルが発射され、宮城、山形、新潟の3県でJアラートが鳴ったばかりだった。
実は、このJアラートが鈴木さんの投稿につながった。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル