昭和52年11月に北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で、5日に87歳で亡くなった拉致被害者家族会初代代表の横田滋さんは、行動と決断で、政府に拉致問題解決を迫ってきた。愛娘(まなむすめ)の救出に生涯をささげた滋さんの生き方は、重大な国家主権、人権の侵害でありながら問題視されることもなかった北朝鮮の拉致問題に国際社会の目を向けさせる一方、日本には国の在り方を問いかけてきた。
■仲間勇気づけ、時には体を張り
平成9年3月、家族会代表に就いた滋さんは会の結成理由をこう語った。「共通認識を持った家族が一つになることで、少しでも事態が前進すればと考えた」
世間の関心が拉致問題に向いた時流を逃さず、組織的な運動に打って出るという滋さんの判断はやがて、世論を大きく動かす。
「家族は皆、滋さんに勇気づけられてきた」。家族会結成当初から参加した市川修一さん(65)=同(23)=の兄、健一さん(75)も、修一さん失踪後、つらい日々を過ごしていた。「滋さんはわれわれの先頭に立ち、誰も関心がなかった拉致事件を全身全霊で日本全国に知らしめた」(市川さん)。
ときの首相ら政治家にも救出運動の後押しを求めつつ、体を張る行動もいとわなかった。17年、北朝鮮側の不誠実さに交渉の手掛かりを欠く日本政府に対し、滋さんは「対北経済制裁発動」を求め座り込みに出る。「拉致被害者全員を取り戻すという国家意思を示すこと。躊躇(ちゅうちょ)していると拉致問題を重視していないという大変危険なメッセージになりかねない」。滋さんは高齢を押し、身をもって政府に毅然(きぜん)とした姿勢を求めたのだ。
■米国を動かし、国際社会に浸透
滋さんの言動は海外にも影響した。家族会は米政権に協力を求めるためしばしば米国へ渡った。訪米時の滋さんの言動は北朝鮮の人権侵害状況の深刻さを国際社会が理解するきっかけを与えてきた。
アーミテージ国務副長官は15年、拉致解決の後押しを約束。「北朝鮮をテロ支援国家に指定している理由に日本人拉致問題も含まれる」とまで明言した。
訪米に同行した支援組織「救う会」の島田洋一副会長は「深刻な拉致を伝える中で凜(りん)としながらも優しいほほえみを絶やさない。柔和な人柄は米国に深刻な問題を伝え、共感させる原動力になった」と振り返る。
■涙とともに励ましあうやさしさ
滋さんにはまた、思いをともにするほかの家族と、泣きながら励ましあうやさしさもあった。
帰国拉致被害者の曽我ひとみさん(61)も滋さんに支えられた一人だ。一緒に拉致された母のミヨシさん(88)=同(46)=は行方不明。14年に帰国後、自ら救出運動に加わった。北朝鮮でめぐみさんと共同生活したこともあるひとみさんに会うたび滋さんは「一緒にいてくれてありがとう」とほほえみ、常に励ましたという。
14年に5人が帰国して以降から拉致問題は進展がない。日本政府は「最重要、最優先課題」に位置付け、安倍晋三首相は北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と無条件で会談する意向を表明したが、道筋は描けていない。
政府が認定する未帰国拉致被害者12人の親世代で存命なのは滋さんの妻、早紀江さんと、有本恵子さん(60)=同(23)=の父、明弘さん(91)の2人だけになった。滋さんが生涯をかけて闘い続けた拉致解決への思いは政府のみならず、多くの国民が受け継いでいかなければならない。(拉致問題取材班)
Source : 国内 – Yahoo!ニュース
Leave a Comment