捜査に没頭、伝説の捜査一課長 勇退後に遺した「金言」

 元警視庁生活安全部長の寺尾正大(てらお・まさひろ)さんが1月24日、死去した。78歳だった。

 14人が死亡、6千人以上が負傷した地下鉄サリン事件をはじめ、多くの凶悪事件の捜査を指揮した。「ロス疑惑」などの難事件も手がけ、全国の捜査員にその名を知られた。

 「ようやく警視庁オウム真理教の捜査をやれます」

 1995年2月28日、夜回り取材で東京都内の官舎を訪ねた私に力強く、静かに言った。

 殺人や誘拐、立てこもり、ハイジャックなどの凶悪犯罪捜査を担う捜査1課長に就いた日のことだ。この数時間前、信徒の親族を取り戻そうと、教団と対立していた公証役場事務長の男性が都内で拉致された。

 94年に長野県松本市でサリンが噴霧され、8人が死亡した。89年には、教団を批判していた横浜市の弁護士一家3人が行方不明に。早くから教団の関与を疑い、情報を集めていた。だが、東京を管轄する警視庁は都外で起きた事件の捜査を当時はできず、歯がみしていた。

「松本だけは撃たないで」

 急ピッチで教団への本格捜査を準備していた95年3月20日朝、都内の地下鉄3路線の電車5本にサリンがまかれた。

 警視庁6階の1課長室に駆け込んだ私たち報道陣に叫んだ。「サリンです。詳しくは後、すぐに報じて。被害者の衣服には触れるなとも」。事前にサリン研究を指示していた成果だった。

 山田正治さん(80)は1課ナンバー2の理事官として、山梨県上九一色村(当時)の教団拠点に詰めた。ここに隠れていた代表の松本智津夫元死刑囚逮捕の前日、寺尾さんに「サリンで攻撃されたら拳銃を使います」と告げた。

 「いいですよ。でも松本だけは撃たないで」。未曽有のテロの首謀者を死なせると真相解明が危うくなる。それを避けるための冷静で的確な指示だった、と振り返る。

 テロや外事事件を担う「公安部」にいた宮崎忠さん(81)も独自に教団情報を集めていた。弁護士事件の発生後、警察首脳から「寺尾さんと極秘で捜査を」と指示された。事件を未然に防ぐという意味では、それは実らなかったが、毎晩のように2人で作戦を練った。「迎合しない部下を集めた『軍団』で実績を重ねた。自身は報告書を徹底して読み込む。いまそんな指揮官がいるだろうか」

 勇退後、オウム捜査の問題点を確かめるため、私は自宅を訪ねた。「検証は報道の務め。これがあれば大丈夫です」。ノートの束を手に、薄れがちな記憶を補いつつ答えてくれた。

 遅かった。警視庁がもっと早…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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