「東海道五十三次」の作者として知られる浮世絵師・歌川広重。歴史の教科書に登場し、ゴッホやモネにも影響を与えたとされます。そんな広重には、もう一つの代表作があります。太平の江戸を描き、絶筆となった「名所江戸百景」。 明治維新、関東大震災、東京大空襲、そして、高度経済成長。東京と名を変えた江戸は、激変を重ね、往時の面影は……。実は、かすかに残っています。没後162年。「名所江戸百景」に描かれた江戸をたどります。今回は浅草界隈へ。
真夏に出版、広重のしゃれ心?
広重の魅力の一つに、斬新な視点と、強烈な遠近感がある。浅草寺を描いた「浅草金竜山」も、その一つだ。
雷門から境内を望む雪景色が描かれている。
江戸時代に流行した、雪輪という文様がある。ふんわりとした円に、くぼみが配されたデザインで、図案化した雪の結晶が描かれている。雪輪柄の浴衣を、江戸っ子は真夏に着たという。目で涼を取ったのだ。
この作品が出版されたのも、1856(安政3)年の真夏。雪景色で涼んでもらおうという、広重のしゃれ心だろうか。
この前年の安政2年に、江戸市中に甚大な被害をもたらした「安政の大地震」が起きた。中が空洞となっており、地震に強い五重塔は倒壊を免れたが、塔の頂上に立つ「九輪」が曲がったという。「く」の字に曲がった九輪を描いた浮世絵も残っている。
「浅草金竜山」は、九輪の修復が終わった直後に出版されている。雪景色で涼んでほしいというしゃれ心とともに、未曽有の震災からの復興を遂げていく江戸のまちへの、広重からのエールだったのではないか。
その後、関東大震災に東京大空襲と、東京と名を変えた江戸は繰り返し業火に襲われた。浅草寺の伽藍(がらん)も、ほとんどが焼け落ちた。
奥に見える赤い建物は、東京大空襲で焼失した仁王門。戦後再建された、現在の宝蔵門である。安政の大地震を生き抜いた五重塔も空襲で失われた。雷門をくぐって右手に描かれている五重塔は再建され、いまは左手に見える。跡地には、礎石だけが残されている。
山門である雷門は、1865(…
2種類
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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