神戸市須磨区で、当時小学6年の土師淳(はせじゅん)君(11)が殺害されてから、24日で丸25年となる。
残忍な手口や犯行声明文で高い注目を集めた事件は、警察からはどう見えていたのか。当時の捜査1課長が深層を語り、ある後悔を口にした。
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早朝の中学校の正門前。遺体とともに残された紙切れには、こうあった。
《さあ、ゲームの始まりです
愚鈍な警察諸君、ボクを止めてみたまえ――》
1997年5月27日。のちに「神戸連続児童殺傷事件」や「酒鬼薔薇事件」と呼ばれる出来事が世に知らしめられた日だ。
兵庫県警の当時捜査1課長だった山下征士さん(83)は須磨署に向かった。対面したのは土師(はせ)守さん(66)。次男の淳君(当時11)が3日前から行方不明になっていた。
「まちがいありません」
身元を確認した守さんは取り乱すことなく、しっかりした口調で言った。ただ、淳君を見つめるまなざしは、25年たった今も山下さんの脳裏に焼き付いている。
8日後には報道機関に声明文が届き、《もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ》と警察をさらにあおった。
報道は過熱の一途をたどる。
黒のセダン、白のワゴン、不審なスクーター、黒いごみ袋を手にした男――。様々な犯人像や臆測が飛び交った。
ただ、山下さんは「実は早い段階で、少年は捜査線上に浮かんだ」と明かす。
報道機関への声明文が届いたのと同じ6月4日。部下から1枚の紙を受け取った。
連続児童殺傷を防ぐことはできなかったのか。記事の後半では、事件の「予兆」に迫ります。
事件の構図や関係者の相関図…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル