徳島県立池田高校の野球部監督として、春夏3度の甲子園優勝に導いた故・蔦文也(つたふみや)さんが、1987年にJR四国の広報誌創刊号に寄稿した直筆原稿が見つかった。「和」をキーワードにチームのあり方を説き、新会社の社員らにエールを送っていた。名将の言葉を人生の指針とした元鉄道マンが、36年にわたって保存していた。
三好市(旧池田町)にある池田高野球部は82年夏、83年春に夏春連覇。86年には2度目の春優勝を果たした。豪快な攻撃野球は「やまびこ打線」と呼ばれ、監督の蔦さんは「攻めダルマ」と称された。40年間監督を続け、2001年に77歳で死去した際には大きなニュースになった。
そんな蔦さんの手書き原稿を保管していたのは、元JR四国社員の山地倫(しとし)さん(86)=高松市中間町。蔦さんの自宅に近い阿波池田駅の駅長だった1987年ごろ、同年4月に発足するJR四国の広報誌「しおかぜ」に向けて自由テーマで書いてもらったという。
原稿はボールペン書きで3枚。書き換えたり読み仮名をつけたりして推敲(すいこう)を重ね、懸命に思いを伝えようとした様子がうかがえる。
タイトルは「六和敬」、チームワークを重視
「六和敬」というタイトルがつけられ、「野球は団体スポーツです。それが為(ため)にはチームワークが大切です」との言葉から始まる。
「チームワークがよければ…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Leave a Comment