放射能汚染のふるさと「悔しくて、悲しくて」 母の墓前に再生を誓う

 東京電力福島第一原発から約30キロの福島県浪江町の津島地区。2月28日、山あいの墓地に、墓参りをする親子の姿があった。周辺は放射線量が高く、今も立ち入りが制限されている「帰還困難区域」だ。

津島地区の町並み。人はおらず、無人の家は朽ちて痛々しい姿だ=2022年3月1日、福島県浪江町津島、前田基行撮影

 親子は、群馬県渋川市の今野義雄さん(75)と、次女のあゆみさん(42)。3年前に93歳で亡くなった母・ノブ子さんの命日を3日後にひかえていた。

朽ちる無人の家、進む解体

 墓参りを終えると、2人は雪でぬかるんだ坂を下りて、空き地の前で立ち止まった。ノブ子さんが原発事故まで暮らしていた家があった場所だ。築40年の2階建ての家だったが、除染を進める国による解体を受け入れ、一昨年に取り壊し、いまは更地になっている。

 「10年も人が住まないと、家はボロボロ。本当に悔しくて、悲しくて」と今野さん。あゆみさんも夏休みによく遊びに来た家だ。「おばあちゃんが家のわきの畑でつくったウリがおいしかった」と懐かしんだ。

 原発事故前は約1500人が暮らす地区だったが、「見てください。家がどんどん解体され、空き地だらけになりました。津島の風景が消えていきます」

解体前の今野義雄さんの実家。居間には孫たちの写真がびっしりと飾られていた=2016年撮影、福島県浪江町津島、今野さん提供

 今野さんは高校まで浪江町で育った。群馬で暮らし始めたのは1975年、30歳の時だ。国立病院や療養所の職員でつくる労働組合の地区役員になったのがきっかけだった。以来、40年以上にわたって吾妻郡などで地域医療に心血を注いできたが、人生の最後はふるさと・津島のために尽くそう――。そう思っていた矢先に原発事故が起きた。

 2011年3月11日、東日…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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