聞き手=豊島鉄博 伊藤和行 那覇総局長・渡辺丘
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画をめぐり、国が新たな区域の埋め立てに必要な設計変更を県に代わって承認する「代執行」に踏み切った。1998~2006年の2期8年、自民党政権との間で協調関係を築いた元沖縄県知事の稲嶺恵一氏(90)に、国と沖縄の関係の歴史、あるべき姿を聞いた。
――裁判所の判決を受け、国が地方自治体の事務を初めて代執行しました。どう見ますか。
弱者(地方)に対するやり方としては、配慮が足りない。政府の方針だけを貫くのはおかしいという考え方はあります。ただ、国は法律で統治されているのだから、法律には従わざるを得ないと思います。
――稲嶺さんは98年、普天間飛行場の県内移設を拒否した大田昌秀知事を破って知事になりました。県内移設について「軍民共用化」「(固定化を避けるための)15年の使用期限」という条件付きで容認する立場でした。
僕が大事にしてきたのは、常にベターの選択。ギリギリの線を求めることです。本土と県民の思いに挟まれて、問題解決のために、絶対に決裂はしませんでした。
橋本龍太郎さん(首相在任1996~98年)や小渕恵三さん(同98~2000年)らとは、ハートを通わせながら、やることができました。橋本、小渕両内閣は、特に戦争をめぐって沖縄に対する贖罪(しょくざい)意識みたいなものがありました。沖縄を肌で知っていて、本気でやってくれました。沖縄の考えていることで、受け入れられるものはそのまま受け入れたいという気持ちが感じられました。
――ところが、稲嶺さんがこだわり、閣議決定もされた「使用期限」や「軍民共用」は、小泉内閣の2006年に撤回され、ほごにされてしまいました。回顧録で「挫折」と振り返っています。
あれは寂しかったですね。(…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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