政治と宗教、日本がたどった「曲折の歴史」 国葬はプロパガンダか

 安倍晋三元首相の銃撃事件以降、宗教団体「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」を始めとした宗教と政治との関わりが、注目を集めている。

 憲法20条は国が宗教団体に特権を与えることを禁じ、政教分離の原則を定めているが、そもそも日本において政治と宗教の関係はどのような歴史を経て成り立っているのだろうか。

 また、世論を二分する安倍元首相の「国葬」は、政教分離と関係がないのだろうか。

 宗教と政治や経済活動との関係を研究する同志社大学神学部の小原克博教授に聞いた。

日本の政教分離の成り立ちは

 ――安倍元首相の事件以降、旧統一教会と自民党の関係に注目が集まっています。

 現在の状況をきちんと理解するためには、明治時代以降の日本の政教関係の歴史を知っておく必要があります。

 これは、毎年話題になる政治家の靖国神社参拝の話や、保守派の政治家が持っている政教関係観みたいなものにもつながっていて、今に始まったものではありません。

 大日本帝国憲法28条には、条件付きではあるが信教の自由が記されていた。当時、欧米の国々と対等な貿易をするために、自発的にではなく、いわば外圧に屈するような形でそうした一節を入れたのです。

 ところが戦時下では、治安維持法などで信教の自由は実質的にほぼ解体。日本の政教関係は、国家神道という国教制度に極めて近いものになり、神道以外の宗教も政治と一体化して戦争に向かっていった。

 こうした歴史過程を経て、GHQが戦後、国家神道を解体し、戦前の反省のもとに日本国憲法がつくられた。

 日本の歴史を振り返ってみると、クリスチャンなどの宗教的少数者をのぞけば、政治家や国民から、信教の自由について積極的な議論が起こったことはあまりありません。

自民党の改憲草案から透けるもの

 ――憲法20条では、国が宗教団体に特権を与えることを禁じています。

 戦前からの文脈で読んでみて初めて、20条の言葉の重みが分かってきます。反対に言えば、その言葉の形骸化が露呈したのが、今回の旧統一教会との問題だと思います。

 戦後の長い歴史の中で、「お互いがウィンウィン(互いに利がある)ならばいいじゃないか」と、政治と宗教のずるずるとした関係を結果的に正当化するような理屈が醸成されてきたのが、今回の問題の背景にはあります。

 自民党は憲法改正草案にも、20条を入れています。

 「社会的儀礼または習俗的行…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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