政治家を襲う事件、報道は無関係か 大谷昭宏さんが投げかけた疑問

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聞き手・高井里佳子

 1987年5月3日、目出し帽の男が朝日新聞阪神支局(兵庫県西宮市)に侵入して散弾銃を放ち、29歳の小尻(こじり)知博記者を殺害しました。「赤報隊」が出した「反日朝日は五十年前にかえれ」という犯行声明に対する答えとして、朝日新聞は連載「『みる・きく・はなす』はいま」を始めました。あれから36年。元読売新聞大阪社会部の記者でジャーナリスト大谷昭宏さんは、いま起きている政治家の襲撃事件も報道と無関係とは言えないと、警句を口にします。

 ――阪神支局襲撃事件が起きた87年、大谷さんは読売新聞を辞めてフリーになりました。

 新聞社という一つの傘から抜け出し、生身の体一つで仕事を始めた時期でした。自由闊達(かったつ)な言論に対して撃ち込まれた銃弾に、衝撃と憤り、恐怖を感じました。

 新聞社の支局は、記者と地元の人たちがふれ合う開かれた場所です。事件を機に、支局や本社の警備が強化され、報道と市民の間に距離ができてしまったのは確かだと思います。

元上司と出席した社葬、印象に残る一言

 ――小尻記者の社葬にも出席されたそうですね。

 読売時代の上司で、大阪社会部長も務めた黒田清さん(故人)と一緒でした。なんかえらいすすり泣いているおっさんがいるなと思ったら、黒田さんで。彼は小尻記者のことを存じ上げていなかったと思うんですけど、私以上にショックだったんでしょうね。

 黒田さんとも事件について色々話しましたが、やりとりで印象に残っていることがあります。

 「もし黒田さんが社会部長を…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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